未来日本昔話 (南京大虐殺の嘘その10)

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。

 みなさん、メディアが絶対に報道しない、日本人が起こした悲しい事実がたくさんあります。今回から、シリーズでお話しすることです。朝日新聞に本田勝一というとんでもない記者がいました。毎日新聞に朝海一男というとんでもない記者がいました。「百人斬り」という事件をでっちあげ、二人のすばらしい日本人を死においやりました。その事実がでっちあげだということがわかっても、朝日新聞と毎日新聞は社をあげて、この不埒な記者たちをかばいました。かばうどころか、この国賊記者たちは、それぞれの社で偉くなっていったのです。

 この事実に、遺族とともに敢然と立ち向かったのが、現衆議院議員、当時、弁護士だった、稲田朋美氏です。私の大好きな人です。

 最高裁判所まで争いました。でも、司法は逃げました。稲田氏に答弁をさせなかったのです。日本の司法はいつからこんなに情けなくなったのでしょうか。明治時代に起きた、司法の敢然たる姿勢をごぞんじですか?(長くなるので、今度紹介します)。

 さて、朝海一男と本田勝一が起こした、国賊行為とはいったい何なのでしょうか? おばあちゃんとまさるくんが明らかにしてくれます。
ま「おばあちゃん、またきたよ。この前は、こんどうの天ぷらご馳走様。おいしかった」
お「まさる、よく来たね。この前は楽しかったね。」
ま「うん、またデートしようね」
お「うれしいねえ」

ま「ところで、おばあちゃん。この前泊まった時に、亡くなったおじいちゃんの書斎で百人斬りの本を見つけたんだ。『百人斬り裁判から南京へ 稲田朋美 文芸春秋』だよ。稲田さんって、衆議院議員だったんだよね。」
お「そうだよ。この人が総理大臣になっていたら日本はつぶれなかったんだけどねえ。民主党政権は、本当にとんでもないことをしれくれたよ」

ま「毎日新聞の浅海一男という記者が、戦時中に、でっちあげ記事を書いたことから始まったんだよね」
お「そうそう。当時は、東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)だったんだけどね。支那事変の南京最前線で支那兵をばったばったと斬り倒して、どっちが早く百人切れるか二人の少尉が競争しているという内容だったのさ」

ま「その二人の名は、野田毅少尉と向井敏明少尉」
お「そう」
ま「するとアメリカの新聞が、浅海の記事を転載して記事を捻じ曲げた」
お「そう。浅海の記事では、百人斬りの対象は支那兵だったけど、アメリカの新聞では兵士ではなく、支那人としたんだ」

ま「アメリカ得意の戦法だね。アメリカ軍というのは、兵士同士で戦うのではなく、兵士の家族が住むところを虐殺するのが得意な国だからね。完全な国際法違反にもかかわらず」
お「ひどい国だね。何が自由と正義の国なんだか。アメリカの新聞は、丸腰の民間人を斬りまくったと書いているんだ」

ま「それが、支那人の、曽虚白(そきょはく)という人物の目にとまったのさ。こいつは、ある人間に金を握らせて、対日策謀を授けたんだ。その人物とは、オーストラリア人の新聞記者でありながら、支那の工作員だった、ティンパリーという男だった。こいつは、ある本を書いたんだ。『戦争とは何か』という本を」
お「そこには、殺人競争というテーマで、日本の二人の少尉が民間人大量虐殺の犯人にしたてあげられたんだ。オーストラリなんて、インドネシアと東ティモールでどれだけひどいことをやったのか。自分のことを棚にあげてね」

ま「おばあちゃん、このテーマ掘り下げて研究するね。今から、ちょっとおじいちゃんの書斎借りていい?」
お「いいともさ。晩御飯を作っておくから、ゆっくり調べておいで。今日は、まさるの大好きな煮込みハンバーグを作ろうかね。デザートには、クラブハリエのバームクーヘンがあるよ」
ま「わーい、調べるのに力が入るね!」

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このページは、宝徳 健が2011年9月23日 07:12に書いたブログ記事です。

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