未来日本昔話 (南京大虐殺の嘘その9)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。

 日本人が日本というすばらしい国を勉強しなかったため、日本の国がつぶれてしまったと仮定しています。時は西暦2111年。おばあちゃんとまさる君の会話です。まさる君は中学1年生です。
ま「おばあちゃん、おひさしぶり~」
お「あら、まさる。中学生になって、ずいぶん忙しくなったね」
ま「うん。部活が忙しいんだ。でも、時々来るからね」
お「うれしいね~。っで、この前、言っていた、まさるが知っている真実ってなんだい? 聞かせておくれ」

ま「支那には、南京大虐殺の記念館みたいなものがあるんだ。でも、その建物の名前は、なぜか必ず、『南京大屠殺』となっているんだ。なんで虐殺ではなくて、屠殺になっているかと思って、調べてみたら、とんでもないことがわかったんだ」
お「なんだい?」

ま「『屠殺』っていうのは、支那では『屠所にひかれる家畜のように、これを殺して手足をバラバラにして食用として調理にして喰う』という意味があるんだ」
お「そうなの? だとしたら、大屠殺記念館なんて、うそを言われたら、日本兵が支那兵を食べたっていう意味になっちゃうね」

ま「日本が南京大虐殺をやったなんて嘘っぱちだってことは、もう明白だけど、驚くのはこれからなんだ」
お「なんだい?」

ま「大屠殺っていうのは、支那の歴史そのものだったんだ」
お「教えておくれ」
ま「たとえば、1645年、支那で勢力を拡大していた清軍が、降伏しない敵城に対して「屠城の令」を下し、民衆を皆殺しにしているんだ。一発の大砲の音を合図に、屠殺が始まる。兵士は思う存分殺戮してもいいというルールなんだ。こうして兵士は、一軒一軒狭い横丁や奥まった路地に至るまでしらみつぶしに探し回り、いばらの生い茂ったやぶの中でも、必ず槍を突き立てて人がいないことがわかるまで、やめなかった。」

お「ということは、支那が主張する日本の南京大虐殺の光景とそっくりじゃないか」
ま「そうなんだ、結局、日本の仕業にされている『南京大虐殺』は、これまで支那人がやってきた行為そのものなんだよ。通州事件を見ても同じ光景だよね。」
お「南京大屠殺記念館は、言わば、支那人が自らやってきた歴史の記念館みたいなものだね。それを、抗議も何もしないで、ほんとうだと思い込んでいた日本人はバカだね。だから国がつぶれたのさ」

ま「悲しいね。もう一度、すばらしい日本をつくらないと」
お「さあさあ、今日は、そのくらいにしよう。今日は、すき焼きを作ってあげるから、食べておいき」
ま「わーーーーーい!!! うれしい」

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/2821

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2011年9月 3日 06:40に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「真美ちゃんの詩①(9月2日の日誌)」です。

次のブログ記事は「中小企業白書解説」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。