未来日本昔話(南京大虐殺の嘘その12)

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。

 私たち国民が、国をないがしろにし、そのくせ、国家に甘え、正しい歴史を知らないので、日本がつぶれてしまったと仮定しています。

 時は、2111年、おばあちゃんと中学1年生のまさる君が、もうなくなってしまった日本の昔のことについて語り合っています。今は、南京大虐殺が嘘だったことを語り合い、過去の日本人がそれを信じてしまったことを嘆いています。
ま「おばあちゃん、お風呂から上がったら、落ち着いたよ」
お「そうかいそうかい。それはよかった。では、野田少尉のことを教えてくれるかい?」

ま「うん、野田少尉は、敗戦後、故郷の鹿児島県にいたんだ。そうすると、警察が『百人斬り』の容疑で逮捕しに来たんだ。野田少尉は、でっち上げの記事だったので、何も心配ないと家族に言って、出頭していったんだ」

お「新たな証拠は何もなかったんだよね」

ま「そうだよ。二人は、南京に護送されることになった。両少尉が巣鴨拘置所に交流されている間、向井少尉の弟さんは、証言集めに奔走したんだ。浅海一男がいる東京日日新聞社に行くのだけれど、浅海は逃げ回って弟さんに会おうとしなかった」

お「そうだね。浅海一男だけでなく、新聞社全体でかばっていたんだよ」
ま「そうそう。でも、ついに弟さんが浅海一男に会うことができて、『あの記事は創作だと言ってくれ』と頼んだんだ」

お「『百人斬りの現場を見たのか』と問う弟さんに『見てない』と浅海は答えた」
ま「『現場を見たいないのにどうやって記事を書いたのか。創作なのだろう。頼むから、創作だという証言をしてくれ』と頼んでいるうちに、二人は南京に送られてしまったんだ。浅海一男はのらりくらりと逃げた」

お「そして、日本で東京裁判が開かれているころ、支那では、南京軍事裁判が始まった」
ま「両少尉の主張は受け入れられなかった。そして、両者は死刑となった」
お「二人は異議申し立てをした。それでも、浅海は『創作だった』と証言しなかった」

ま「ひどいものだね。それに、この百人斬りは、物理的にも不可能だったんだ」
お「そうだね。まさる、もう遅くなったから、この続きは明日にしよう。お布団を敷いておいたからゆっくりお休み。明日の朝は、おばあちゃんと喫茶店にモーニングを食べに行こう。明日は、まさるも休みだから、食べて帰ってきてから、この話の続きをしよう」

ま「うん、おばあちゃん、おやすみなさい」
お「おやすみなさい」

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このページは、宝徳 健が2011年10月 1日 11:37に書いたブログ記事です。

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