未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その20)

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 さて、まさるくんが、おじいちゃんの書斎で大津事件のことを調べています。そうだ、先日、ある人と仕事で大津に行きました。ちょっと道に迷って、くねくね歩いていると、なんと、大津事件の場所に出くわしました。碑と看板が立っていました。

 おばあちゃんとまさるくんの会話の前にちょっと紹介します。
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ねっ! では、おばあちゃんとまさるくんに出番を譲ります。

ま「おばあちゃん、勉強したよ、大津事件と司法の関係」
お「そうかい、教えておくれ」
ま「うん、その前におなかすいた。お昼ごはん食べたい」
お「はいはい(笑)。まさる、今日はね、ディメールという冷凍技術の会社と、青森のはまなす農協のお米が結びついた、冷凍押し寿司を食べよう。特に、この焼き鯖寿司が最高においしいのさ」
ま「えー、冷凍のお寿司?大丈夫なの?」
お「まあ、食べてごらん」

もぐもぐ

ま「おばあちゃん、何これ! 最高においしいじゃん。本当にこれ冷凍なの?」
お「おいしいだろう~」
ま「おばあちゃん、日本はつぶれたけど、日本のDNAは確実に残っているね。すごいや。この技術力は。早く日本を復興させないとね」
お「そうだね。じゃあ、大津事件と司法のことを教えておくれ」

ま「大津事件については、もういいね。ロシア最後の皇帝ニコライ二世が皇太子時代に日本に来たときに、日本の官憲に斬りかかられて怪我をした事件」
お「知ってるともさ」
ま「うん。そのとき、総理大臣の松方正義たち政府首脳は、犯人の津田三蔵を大逆罪で死刑にしろと騒ぐんだ」

お「そうだろうねえ、あの当時のロシアは世界最大の軍事国家で、日本はいつ侵略されてもおかしくなかったからね。外交上ロシアに気を遣ったわけだね」
ま「うん、でも、大逆罪は日本の皇室にしか適用されないから、犯人の津田三蔵には適用できなかったんだ」
お「でも、大審院は気を使って協議を重ねた」
ま「そう、でも、ここに登場するのが児玉惟謙(こだまこれたか)。この人は大審院長だったんだけど、津田の案件は大逆罪の構成要件に該当しないと、政府首脳が圧力をかけまくる中、罪刑法定主義を貫いたんだ。そして、大審院の判事を一人ひとり説得してついに、津田は謀殺未遂罪で無期懲役になったんだ」

お「骨があるね~。司法権の独立だね。当時の大和男児は骨がある。だから、明治という困難な時代でも、国家をつぶさずに独立を保てたんだね」
ま「うん、すごい。それに比べて、つぶれる前の日本で民主党政権時代に起きた尖閣列島問題のときの、司法は情けなさ過ぎるよね。菅とか仙石とか言う政治家に押し切られて、支那に気を遣って支那人の犯人を釈放してしまった」

お「そうだね。でもね、まさる、もっとなさけないことが、南京大虐殺に関してあるんだよ」
ま「えっ? 何々?」
お「じゃあ、お昼が終わったから、時間があるのなら、またおじいちゃんの書斎で調べてごらん。
『百人斬り裁判から南京へ 稲田朋美著 文芸春秋』という本があるはずだから。ここで、最高裁までひどいことをしてしまったんだ。司法までこんなに情けなかったから、日本はつぶれてしまったのさ」

ま「うん。読む! じゃあ、書斎に行く! おやつはプリンでいいからね」
お「おやおや、はいはい(笑)」

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このページは、宝徳 健が2011年10月24日 00:51に書いたブログ記事です。

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