誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納されています。

 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 東條英機が「天皇陛下の開戦責任」について、力を入れて東京裁判の検察側へ意見を申し立てています。 とても大切な部分なので、何回かに分けてゆっくりと解説しています。前回書いたのは九月十九日です。すみません。わからない方は、その記事からお読みください。

 前回は、「輔弼(ほひつ)」と「輔翼(ほよく)」について紹介しました。

 その中で、今回は統帥部の輔翼について説明します。

 統帥部の輔翼者の任命についても、陸軍では三長官、すなわち、陸軍大臣、参謀総長、教育総監の意見に基づき、陸軍大臣の責任によって天皇陛下の許可を得ていました。海軍も同じです。天皇陛下が申し出を拒否して、別の命令を下されたことは、明治・大正・昭和を通じて一回もありません。つまりこの点でも、天皇陛下には責任がないと、東條英機はこの宣誓供述書の中で述べられています。

 それから、国政についても、陛下独自で国政および統帥に関する行動をなさったことはありません。事実、内閣や統帥部が責任を持って下した最後決定に対して、天皇陛下が拒否権を行使したことはありませんでした。

 天皇陛下は、希望または注意を表明することはありますが、それは内大臣の進言によって行われていました。しかも、その希望や注意を受けた輔弼者、輔翼者も、自分の責任においてこれを検討し、その当否を定めました。さらに、天皇陛下は、ご自身の希望・意見と違う進言を受けた場合でも、これを拒否されたことはありませんでした。

 天皇陛下が「ノー」と言ってくれれば、あの戦争は止まったのではないかと言う人がたくさんいます。東京裁判でも検事側が言っています。天皇が戦争を終わらせたのだから、始めることを止めることができたはずだと。まったくのおバカな話です。

 天皇陛下は、欧米でいうところの、征服者「エンペラー」ではありません。民族の代表者「レプレゼンタティブ」です。

 終戦の時は、首相の鈴木貫太郎が、逃げて、自分の義務を放棄しました。本来なら、御前会議でも、決定を下すのは、首相以下の責任なのです。ところが、意見が割れ、そのとき鈴木首相が決をちょれば、終戦を決めることができたのに、鈴木首相は、その後の混乱を恐れて。、逃げてしまいました。そして、陛下のご裁可を仰いでしまったのです。これは、まったくの憲法違反でした。ですから、この時点で、日本の内閣制度は崩壊しています。

 でも、結果的によかったのですがね。天皇陛下のご存在とは、日本の最終的な危機管理です。東日本大震災を見てもわかりますよね。

 まあ、終戦の時は、「それなら」と昭和天皇が意見を述べて、終戦が決まりました。昭和天皇がいらっしゃらなかったら、日本はどうなっていたかわかりません。

 私たちが知らなくてはいけないことは、開戦のときは、日本の政府は機能していましたが、終戦の時は、日本に政府機能がなくなったということです。これを知っていれば、先ほどの東京裁判の検事の言い分がまったくもってナンセンスだということがわかります。

 こういう「誰が正しいかではなく、何が正しいか」ということを知ろうとする努力なしに、メディアに騙されて、「天皇にも戦争責任が・・・」などとのたまう、悲しい日本人がいます。

 さて、次回から、次のステージに入ります。

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このページは、宝徳 健が2011年10月10日 10:05に書いたブログ記事です。

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