このシリーズは右のカテゴリー「ひとりごと 宝徳 健」に格納されています。
広州の話の続きです。
広州の話の続きです。
続きと言っても、この広州は私の記憶にあまり残っていません。支那に入って、支名の国に抱いた感想だけが残っています。
①まずしい国だなあ
②きたない国だなあ
③食べ物のまずい国だなあ
これらに、電気がないので、夜が真っ暗になることを加えて、YTJと支那3Kというのを作りました。「くらい・くさい・くそまずい」です。
暗いというのは、当時の支那は、電気を大量に作ることができませんでした。どうしても工場等への送電を優先するので庶民の電気は後回しになります。夜、街に出たら、真っ暗で、歩いている人の性別・年齢等はまったくわかりません。加えて、みんな国民服を着ているので、全員、同じ服を着た真っ暗の中を歩く同じ人に見えてしまいます。
きたないというのは、道を歩いているとどこにでも、痰を吐きますし、食堂のマナーもひどい。食堂で、順番待ちをしていて、席が空いたから、その席に行くと、テーブルの上も下も、もう目も当てられないくらい汚く、その場を逃げ出したくなります。支那人は、たとえば魚を食べていて、骨があると、それをテーブルの上とか、床に吐き出します。また、急にうがいをし始めて、それを床に上に吐き出します。だから、テーブルには必ず大きなクロスが敷いてあって、お客が帰ったら、そのクロスごと食器も一緒に、持って行ってしまうのです(店の人が)。汚いというともうひとつ。手で鼻をかみます。片方の鼻の穴を指でふさぎ、もう片方の鼻の穴から、鼻水を、ビューと出す。それを道路にたたきつけます。支那人の痰や鼻水が、自分に当たりそうになったことは一度や二度ではありません。
くそまずいのは、もういいですよね。食材がないから、おいしくないのです。「そんなことない」という人は、それは、外国人専用ツアーで、または、ホテルで、または、外国人が来るときの専用レストランでしか食べてない人です。今は、発展したと言っても、それは北京や上海の半径2キロぐらいのところでしょう。外国人がいく範囲のことでしかありません。あの国の政治で、経済手法で、私たちが行った支那本来の姿が30年程度でかわるはずがありません。
あー、そうだ。孫文の記念館か何かに行きました。では、次回それを紹介しながら、辛亥革命がいかにうそっぱちであったかを証明しましょう。
①まずしい国だなあ
②きたない国だなあ
③食べ物のまずい国だなあ
これらに、電気がないので、夜が真っ暗になることを加えて、YTJと支那3Kというのを作りました。「くらい・くさい・くそまずい」です。
暗いというのは、当時の支那は、電気を大量に作ることができませんでした。どうしても工場等への送電を優先するので庶民の電気は後回しになります。夜、街に出たら、真っ暗で、歩いている人の性別・年齢等はまったくわかりません。加えて、みんな国民服を着ているので、全員、同じ服を着た真っ暗の中を歩く同じ人に見えてしまいます。
きたないというのは、道を歩いているとどこにでも、痰を吐きますし、食堂のマナーもひどい。食堂で、順番待ちをしていて、席が空いたから、その席に行くと、テーブルの上も下も、もう目も当てられないくらい汚く、その場を逃げ出したくなります。支那人は、たとえば魚を食べていて、骨があると、それをテーブルの上とか、床に吐き出します。また、急にうがいをし始めて、それを床に上に吐き出します。だから、テーブルには必ず大きなクロスが敷いてあって、お客が帰ったら、そのクロスごと食器も一緒に、持って行ってしまうのです(店の人が)。汚いというともうひとつ。手で鼻をかみます。片方の鼻の穴を指でふさぎ、もう片方の鼻の穴から、鼻水を、ビューと出す。それを道路にたたきつけます。支那人の痰や鼻水が、自分に当たりそうになったことは一度や二度ではありません。
くそまずいのは、もういいですよね。食材がないから、おいしくないのです。「そんなことない」という人は、それは、外国人専用ツアーで、または、ホテルで、または、外国人が来るときの専用レストランでしか食べてない人です。今は、発展したと言っても、それは北京や上海の半径2キロぐらいのところでしょう。外国人がいく範囲のことでしかありません。あの国の政治で、経済手法で、私たちが行った支那本来の姿が30年程度でかわるはずがありません。
あー、そうだ。孫文の記念館か何かに行きました。では、次回それを紹介しながら、辛亥革命がいかにうそっぱちであったかを証明しましょう。
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