支那紀行 その16

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 長沙の続きです。
 この支那旅行のずっと後、社会人になってから台湾に行ったことがあります。間違えないようにしてください。あそこは中華民国ではありません。台湾です。かつて支那は、日清戦争で日本に敗れたときに、やっかいものの台湾を日本に押し付けました。押し付けてせいせいしたのでしょうね。

 日本は台湾をすばらしく統治し、野蛮社会を文明国家に変えました。戦後、日本を戦争に引きずり込んだ、悪党の一人、蒋介石が、台湾に乗り込み、台湾人を弾圧しました。台湾人は日本人が去って、支那人が来たときに「犬が去って、ブタが来た」と言いました。支那人と台湾人を一緒に考えている日本人がほとんどです。びっくりさせられます。

 その話はいずれ書くとして、台湾に行ったときに、素敵な方々とたくさん知り合いました。酒もうんと飲まされました。そのとき、台湾の方々が、「宝徳さん、日本の人はすぐに、『中華料理が食べたい』と言いますが、これには困ってしまいます。北京料理とか四川料理とか広東料理とかちゃんと言っていただかないと、お連れすることができないのです」と、こちらが驚くほど流暢な日本語で話をされます。「あのー」「だからー」「でもー」と語尾を上げるあのみっともない若者言葉なんて比べようもないきれいな日本語です。

 そのときに、支那料理で一番おいしいのは湖南料理(昔は、湖にサンズイがなかったような・・・)だと教えてくださいました。洞庭湖の近辺の料理です。長沙もそこに入ります。乞食鶏なんて最高ですね。

 京橋に「雪園(せつえん)」という湖南料理の店があります。日本にはここしかないのでは。少なくとも私は、ここしか知りません。すばらしい料理を出します。あ~、行きてー、雪園で、湖南料理食いてー。ここの自家製ハムの蜂蜜漬と竹筒のスープは絶品なんだよなあ。

雪園 〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-3
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自家製ハムの蜂蜜づけ
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    竹筒のスープ

 長沙に行ったときのことです。二人ともちょっとお疲れ気味だったので、ポリシーに反しますが、ホテルで食事(昼食だったと記憶)をすることにしました。ホテルのレストランに入りました。支那人スタッフは変な顔をします。私たち以外に客は誰もいません。それもそのはず、外国人専用ホテルで、予約もなしに入ってくるのですから。予約があるとき以外は、通常、客は誰もいないはずです。

 いつものごとく「ウォージャオ リーベンレン:私たちは日本人だ」から始まります。さて、そのレストランで、これまた当時の支那を味わいました。つづく。

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このページは、宝徳 健が2011年11月24日 03:06に書いたブログ記事です。

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