このシリーズは右のカテゴリー「ひとりごと 宝徳 健」に格納されています。
ある方から、28年も前のことをよく覚えているなあと言われました。間違いの記憶もあるかもしれませんが、楽しかったことや面白かったことは覚えています。困ったことも。嫌なことは忘れるたちですが。ほぼ正確だと思います。
長沙での食事の話です。
ある方から、28年も前のことをよく覚えているなあと言われました。間違いの記憶もあるかもしれませんが、楽しかったことや面白かったことは覚えています。困ったことも。嫌なことは忘れるたちですが。ほぼ正確だと思います。
長沙での食事の話です。
ホテルのレストランに行きました。私たちが珍しいのか、ウエイター・ウエイトレスが私たちのテーブル周りを7~8名取り囲みます。メニューが渡されました。
大体何が書いてあるかわかるので、「これ」と注文すると「メイオー(ない)」と言います。「じゃあ、これ」というと、また、「メイオー」。次々頼んでも次々「メイオー」です。そのたびに、彼らはお互いの顔を見合わせます。
「じゃあ、このメニューは一体何なんだ」と聞きます。どうやってきいたのかなあ?英語だったかなあ?日本語は彼らがわからないし、支那語はこちらがわからないし。確か英語でした。
すると「これは外国人旅行者向けのメニューだ」と答えました。「自分たちも外国人旅行者だ」と言うと「お前たちは、団体旅行じゃないから外国人旅行者にはならない」「でも、ここは外国人旅行者専門のホテルだろう?」
こういう会話は支那旅行中、何度も起きました。そして、最後は、必ず責任回避です。
しかたがないので、「じゃあ、何を食べることができるんだ」と聞いたら、「みぇ~~~ん」全員が口をそろえて言うではないですか。「???」。何回か、「みぇ~~~ん」と彼らが念仏のように唱えたとき、YTJと二人の頭に中に、ある文字が浮かびました。「麺」です。
最終的に、五目そばのようなものを食べました。でも、でも、でも・・・。
それが、うまいのです! 長沙は、その後、屋台や外のお店で食事をした記憶がかすかにありますが、どこもおいしかった感覚は残っています。
文化に触れたい・・・。これが、二人の願いになりました。「宝徳、西安に行こう」。YTJが言いました。「そうだな」。
こうして二人は、昔の長安の都、今の西安に向かうことになりました。 つづく。
大体何が書いてあるかわかるので、「これ」と注文すると「メイオー(ない)」と言います。「じゃあ、これ」というと、また、「メイオー」。次々頼んでも次々「メイオー」です。そのたびに、彼らはお互いの顔を見合わせます。
「じゃあ、このメニューは一体何なんだ」と聞きます。どうやってきいたのかなあ?英語だったかなあ?日本語は彼らがわからないし、支那語はこちらがわからないし。確か英語でした。
すると「これは外国人旅行者向けのメニューだ」と答えました。「自分たちも外国人旅行者だ」と言うと「お前たちは、団体旅行じゃないから外国人旅行者にはならない」「でも、ここは外国人旅行者専門のホテルだろう?」
こういう会話は支那旅行中、何度も起きました。そして、最後は、必ず責任回避です。
しかたがないので、「じゃあ、何を食べることができるんだ」と聞いたら、「みぇ~~~ん」全員が口をそろえて言うではないですか。「???」。何回か、「みぇ~~~ん」と彼らが念仏のように唱えたとき、YTJと二人の頭に中に、ある文字が浮かびました。「麺」です。
最終的に、五目そばのようなものを食べました。でも、でも、でも・・・。
それが、うまいのです! 長沙は、その後、屋台や外のお店で食事をした記憶がかすかにありますが、どこもおいしかった感覚は残っています。
文化に触れたい・・・。これが、二人の願いになりました。「宝徳、西安に行こう」。YTJが言いました。「そうだな」。
こうして二人は、昔の長安の都、今の西安に向かうことになりました。 つづく。
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