誰にでもわかる大東亜戦争の真実

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 東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 今日から121「今後の戦争指導要領の決定」です。つまり、戦争初期の基本方針です。昨日のつづきです。
 支那事変の早期解決を目指すことはもちろんですが、そのために香港を占領し、天津のイギリス租界、上海共同租界、その他支那大陸の中に持っている敵国の権益を奪う。それからソ連に対しては、事を荒立てず、静謐(せいひつ)を保持する。アメリカとソ連が手を組まないようにする。さらにタイには日本軍の進駐と通過を要求する。

 満州国や汪兆銘の南京政府の参戦は希望しない。

 ドイツとイタリアとは、単独不講和条約を締結する。でも、ドイツ、イタリアとこの条約が締結されたのは、十二月十一日です。ですから、日本は、ドイツ、イタリアとは関係なく、独自の立場で自存自衛のために戦争をはじめました。

 開戦時期はこれを秘匿し、これだけの決定をした後でも、万一、日米交渉が妥結すれば、軍事行動は中止すると言っています。

 でも、ここでひとつ、また同時の日本の欠陥が出てきます。

 開戦においては、もっぱら海軍側の統帥部が計画しました。首相は完治しなかったのです。他国では考えられませんね。

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このページは、宝徳 健が2011年11月 3日 07:27に書いたブログ記事です。

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