支那紀行

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 新シリーズです。右のカテゴリー「ひとりごと 宝徳 健」に格納します。

 日付は忘れましたが、1983年2月に約二十数日間、親友のYTJと一緒に、支那に個人旅行に行きました。大学の卒業旅行です。YTJは、学生時代に世界中を一人旅した人間です。アメリカ大陸、アフリカ大陸もひとりで縦断していますし、オーストラリアもヨーロッパも一人でまわっています。私の卒業にあたり、「一緒に海外に行こう。自分はまだ共産圏に行ったことがないから、支那に行こう」と提案してくれました。私は海外旅行はそのとき初めてでしたが、「まあ、ヨーロッパやアメリカはまた行く機会もあるだろう」とその提案に乗りました。もうひとり、TRDという友人と三人で話し合ったのですが、結果的に、YTJとの二人旅になりました。

 二人の珍道中を紹介します。
 当時、日本で支那のビザをとろうと思って、旅行社を何社か回ったのですが、「中国は個人旅行ではビザはとれない」と言われました。当時はまだまだ、支那は閉鎖的でした。でも、当時の支那の指導者は、胡耀邦です。親日国家でした。

 二人で、「香港に飛んで、香港の中国旅行社でビザの申請をしよう。それでも取れなかったら、東南アジアを旅行して帰ってこよう」となりました。

 何の計画もしていません。飛行機の便も、向こうでの移動手段も、宿泊先も決めていません。これが、YTJの旅行コンセプトです。このコンセプトは私も大好きです。成田-香港往復40,000円のノースウェスト・オリエントのチケットを購入しました。当時の為替レートは230円~240円/$ですし、航空自由化なんてまだまだ先の話ですから、とても安い運賃でした。

 さてさて、面白い事件がいっぱい。毎日は書けませんが、楽しみにしてくださいね。

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このページは、宝徳 健が2011年11月 5日 10:55に書いたブログ記事です。

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