このシリーズは右のカテゴリー「ひとりごと 宝徳 健」に格納されています。
28年前に親友のYTJ二人で行った支那への旅を綴っています。当時はまだ個人旅行はほとんど許されていませんでした。国内で個人旅行のビザをとることはできませんでした。私たちは香港に飛んで、そこで、ビザを取得しました。私の初めての海外旅行です。
さあ、北京に着きました。
28年前に親友のYTJ二人で行った支那への旅を綴っています。当時はまだ個人旅行はほとんど許されていませんでした。国内で個人旅行のビザをとることはできませんでした。私たちは香港に飛んで、そこで、ビザを取得しました。私の初めての海外旅行です。
さあ、北京に着きました。
もう夜遅かったので、バスがありません。北京空港からタクシーに乗りました。このタクシーの怖いこと。
信じられないぐらいの猛スピードで走ります。ライトは点けていません。対向車が来ると、パッシングライトを点けっぱなしにします。そして、すれちがうとまた無灯火状態に。なぜだと聞くと(英語だったかな?)、「電気がもったいない」と言います。笑ってしまうような話ですが、とにかく、そのぐらい当時の支那人は、電気に対して飢えていました。
隙間風が入る飛行機も怖い思いをしましたが、このタクシーも手に汗握る(?)緊張感でした。
もちろん、北京でホテルを予約していません。運転手さんにどこか良いホテルをというと「北京飯店」というできたばかりのホテルに連れて行ってくれました。1泊1,000円(当時は約1元)という、当時の支那では、とても高いホテルでした。お腹がペコペコです。いつもの通り、電気がない外は、もう店なんてやっていません。しかたがないので、チェックインしてすぐに、ホテルのレストランに行きました。
ここでも面白い事件が・・・。 つづく。
信じられないぐらいの猛スピードで走ります。ライトは点けていません。対向車が来ると、パッシングライトを点けっぱなしにします。そして、すれちがうとまた無灯火状態に。なぜだと聞くと(英語だったかな?)、「電気がもったいない」と言います。笑ってしまうような話ですが、とにかく、そのぐらい当時の支那人は、電気に対して飢えていました。
隙間風が入る飛行機も怖い思いをしましたが、このタクシーも手に汗握る(?)緊張感でした。
もちろん、北京でホテルを予約していません。運転手さんにどこか良いホテルをというと「北京飯店」というできたばかりのホテルに連れて行ってくれました。1泊1,000円(当時は約1元)という、当時の支那では、とても高いホテルでした。お腹がペコペコです。いつもの通り、電気がない外は、もう店なんてやっていません。しかたがないので、チェックインしてすぐに、ホテルのレストランに行きました。
ここでも面白い事件が・・・。 つづく。
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