このシリーズは右のカテゴリー「ひとりごと 宝徳 健」に格納されています。
盧溝橋で食事をとりました。
盧溝橋で食事をとりました。
「宝徳、何食う?」
「なんでも、ええでぇ」
「ほな、酢豚にしょうか~。やっぱり酢豚やで~」
そういえば支那に来てから酢豚を食べていませんでした。というかないんです。チンジャオロースも、北京から上海に行く電車の中で初めてお目にかかりました。酢豚は、広東語では古老肉と書きます。北京では・・・・忘れた。とにかく、酢豚がメニューにありました。とてもうれしくなりました。盧溝橋飯店という店です。普通飯店というと旅館なんですが、何でここが飯店なのかは忘れました。
出てきました。酢豚です! 酢豚の色をしています・・・。
でも・・・・・・・・。 野菜が乗っていない。当時の支名では、野菜と卵と肉があまりというかほとんどありませんでした。まあいいやと気を取り直して、二人で食べ始めました。
二人とも一口食べて・・・・・・・・・・・・・・。
顔を見合わせます。
二人はおもむろに、皿に盛られた残りの酢豚に、箸を刺し始めました。
プスッ、プスッ・・・。すべて脂身で赤身がひとつも入っていない酢豚でした。
さすがのYTJも「食わな、日中友好に・・・」という言葉を発しませんでした。
「宝徳、明日、天壇公園行かへんか」
「そうやな」
二人は黙って、バスに乗って、ホテルに帰りました。この頃から日本の食べ物が恋しくてしかたがなくなりました。私はともかくYTJは、一人旅で世界中をまわっている人間です。それこそ、オーストラリアの砂漠もオートバイで一人で縦断していますし、アフリカも南米も一人で行っています。その彼が、支那での食べ物には閉口していたのです。
次の日、天壇公園に行きましたがあまり覚えていません。明清の皇帝が祭祀を行ったところだそうです。
そして、その次の日は、北京の街と紫禁城に行きました。つづく。
紫禁城の外の通路です。
「なんでも、ええでぇ」
「ほな、酢豚にしょうか~。やっぱり酢豚やで~」
そういえば支那に来てから酢豚を食べていませんでした。というかないんです。チンジャオロースも、北京から上海に行く電車の中で初めてお目にかかりました。酢豚は、広東語では古老肉と書きます。北京では・・・・忘れた。とにかく、酢豚がメニューにありました。とてもうれしくなりました。盧溝橋飯店という店です。普通飯店というと旅館なんですが、何でここが飯店なのかは忘れました。
出てきました。酢豚です! 酢豚の色をしています・・・。
でも・・・・・・・・。 野菜が乗っていない。当時の支名では、野菜と卵と肉があまりというかほとんどありませんでした。まあいいやと気を取り直して、二人で食べ始めました。
二人とも一口食べて・・・・・・・・・・・・・・。
顔を見合わせます。
二人はおもむろに、皿に盛られた残りの酢豚に、箸を刺し始めました。
プスッ、プスッ・・・。すべて脂身で赤身がひとつも入っていない酢豚でした。
さすがのYTJも「食わな、日中友好に・・・」という言葉を発しませんでした。
「宝徳、明日、天壇公園行かへんか」
「そうやな」
二人は黙って、バスに乗って、ホテルに帰りました。この頃から日本の食べ物が恋しくてしかたがなくなりました。私はともかくYTJは、一人旅で世界中をまわっている人間です。それこそ、オーストラリアの砂漠もオートバイで一人で縦断していますし、アフリカも南米も一人で行っています。その彼が、支那での食べ物には閉口していたのです。
次の日、天壇公園に行きましたがあまり覚えていません。明清の皇帝が祭祀を行ったところだそうです。
そして、その次の日は、北京の街と紫禁城に行きました。つづく。
紫禁城の外の通路です。
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