このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。
藤原定家に次の歌があります。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 裏の苫屋の 秋の夕暮
藤原定家に次の歌があります。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 裏の苫屋の 秋の夕暮
古典の日本語には、否定の言葉がふたつあります。「ズ」と「ヌ」です。「動かず」「行かず」というのが「ズ」です。「話が解らぬ」「知らぬ」というのが「ヌ」です。
「ズ」が動作を否定するのに対して、「ヌ」は、無いにつながります。つまり「無」の状態です。
この「無い」状態を読むのが日本人はとても上手な民族だったと中西進先生はおっしゃっています。先の藤原定家の歌などまさにそうですね。
中学・高校と、古典はあまり好きではありませんでした。学校も、古典や漢文よりも、数学や英語ができるようになることを重視していました。数学も、本来の数学ではなく、受験数学。
学校とは、学問を好きになり、学問を追及するように子供を育てるところです。日本の国の学校として、私たち祖先が残してきたものをしっかりと教えていく。興味を持たせていくことがなされていません。この国の美しい言語を引き継げない戦後の過った教育を受けてきたことを本当に後悔します。
過去、欧米がアジア諸国を植民地化するときに、やったことは、その国の王家を廃し、他民族を連れてきて、その国の民族を落とし込めることと、言語を廃することでした。
女性宮家を設立し、自国の言葉を学ばない。日本人は、他国に支配されなくても、自分たちで、自分たちの国をつぶそうとしています。
拙首です。
麗しき 瑞穂の国の 大和言葉を 我今学ばん 再度学ばん
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