このシリーズは右のカテゴリー「ひとりごと 宝徳 健」に格納されています。
次の日にまた西安の空港に行きました。13時頃来いということなので、12時半に空港に行きました。
次の日にまた西安の空港に行きました。13時頃来いということなので、12時半に空港に行きました。
その前に、前の日一度チェックアウトしたホテルに戻ると、「何でもどってきた」ということで、その説明に四苦八苦です。
やっとの思いで説明し、泊まることが出来ました。支那で一番寒い時期です。泊まることが出来なければ、凍え死んでしまいます。
さて、次の日空港に行きました。またもや、何時に出るかわかりません。アメリカ人の団体がいました。あきれて「コックローチ?」と叫んでいました。飛行機の機械の中にゴキブリでも入ったのかという皮肉です。
結局、飛行機が出たのが、17時です。前の日から約40時間経過しています。これが当時の支那の国でした。とにかく、いらんことで時間がかかる。
またもや隙間風がぴゅーぴゅーはいる恐怖の飛行機に、顔をひきつらせながら乗って、北京に着きました。電気がない支那です。もう外は真っ暗でした。 つづく。
やっとの思いで説明し、泊まることが出来ました。支那で一番寒い時期です。泊まることが出来なければ、凍え死んでしまいます。
さて、次の日空港に行きました。またもや、何時に出るかわかりません。アメリカ人の団体がいました。あきれて「コックローチ?」と叫んでいました。飛行機の機械の中にゴキブリでも入ったのかという皮肉です。
結局、飛行機が出たのが、17時です。前の日から約40時間経過しています。これが当時の支那の国でした。とにかく、いらんことで時間がかかる。
またもや隙間風がぴゅーぴゅーはいる恐怖の飛行機に、顔をひきつらせながら乗って、北京に着きました。電気がない支那です。もう外は真っ暗でした。 つづく。
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