このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。
昨日に続き、正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語に訳してみます。私は国語学者ではないので、正式な訳とはなっていないかもしれませんが、読みやすさを優先しました。
昨日に続き、正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語に訳してみます。私は国語学者ではないので、正式な訳とはなっていないかもしれませんが、読みやすさを優先しました。
「(源実朝は)古来凡庸の人を言われている。これは誤りである。北条氏に憚って韜晦(とうかい:自分の才能や地位を包み隠すこと)したのか、そうでないならば、大器晩成のひとであったとしか思えない。人の上に立つ人で文学技芸に精通していない者は、人間としては下等であるのが世の中では当たり前のことではあるが、実朝は、まったくこの例に反していない。何故かというと、実朝の歌はただ器用というのではなく、力量あり見識あり威勢ありで、時流に染められることなく、世間に媚びることがない。ただ物好きな連中や死んだような歌を詠む公家たちと同じには決して論じられない。人間として立派な見識のある人間ならではの実朝のような歌は、普通の人では詠むことなどできない。(江戸時代の)加茂真淵(かものまぶち)は、実朝を絶賛したけれど、真淵のほめ方はまだ足りない。真淵は実朝の歌の妙味を知っているだけで、人間性という半面は知らないのではないか。知っていたら、このレベルのほめ方ではないはずだ」
子規にかかると、有名な人もけちょんけちょんですね(笑)。「人の上に立つひとで文学技芸に精通していない人間はいない」というのは、現代の日本人は猛省する点ですね。
では、拙首です。
学びしこと 自ら思ひ 自らの 考えとする 学ぶ姿勢が
家にいると、息子が、学問をしたことを自分なりに思考し、自分なりの考え方としてまとめて、私に話してきます。内容ではなく、その姿勢がうれしくてなりません。アカデミーとしての大学の在り方にきちんと順応しています。大学は就職予備校じゃない。さすがわが息子。
って、 久しぶりの「世界一の親ばか」です。
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