このシリーズは右のカテゴリー「和歌」に格納されています。
正岡子規の「歌よみに与ふる書」と無謀にも現代語訳しています。和歌の教科書です!
では、「四たび歌よみに与ふる書」の続きです。
正岡子規の「歌よみに与ふる書」と無謀にも現代語訳しています。和歌の教科書です!
では、「四たび歌よみに与ふる書」の続きです。
「(一昨日紹介した歌)を名所の歌の手本にする人は大たわけです。だいたい名所のよい歌というものは、その地の特色が盛り込まれていないとよく歌えないものです。でも、この歌のように意味のない名所の歌は名所の歌にはなりえません。しかし、この歌を後世の俗気紛々たる歌に比べればまだ勝っていることに驚いてしまいます。この種の歌は真似をしてはならないのだけれど、たくさんあるなかに、同じような歌があるのは面白い。
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど
という歌は、最も人が賞賛する歌である。上三句はすらりとして難がないけれども、下二句は、理屈である!蛇足である!歌は感情を述べるものである。理屈を述べるものではない。これは歌を知らない人間の歌である。この歌下二句が理屈であることは、どんなに控えめに言ってもそうである。もし、我が身一つの秋と思うって詠むならば感情的であるけれど、秋ではないがとと当たり前のことを言ってしまったら理屈になってします。このような歌を善いと思ってしまう人は、その人が理屈っぽい人である。今の歌よみは、いわゆる理屈を多く並べて自己満足しているだけである」
うわ~、やられました。これでは、毎日和歌が詠めなくなってしまいます(笑)。私の歌なんて、まさに、理屈だらけですものね~。
でも・・・・・。拙首です。
この命 今もし召され なくなれど 誰も困らず みなが忘るる
いったい、私は、誰の役に立って生きているのでしょうか? いかんいかん、子規に怒られる。
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