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 このシリーズは右のカテゴリー「和歌」と「SOEおすすめの本」に格納されています。

 今日から、和歌の記事のスタイルを変えます。書きたいテーマを先に書いて、私の拙首を詠んで、一番最後に書けるときは正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳していきます。

 読者の方々には、正岡子規は退屈だと思いますが、私たちが今思い出さなければならないのは、「日本とは本来どんな国なのか」ということです。いかにTPPや消費税や政治改革の議論をしても、ここがなおざりになると、すべて失敗します。国民のほとんどが、この国の本来のあり方を認識し、心から「憲法」と「教育」を変える必要性を感じなければ、私たちの孫の代までこの国はもたないでしょう。

 さて、今日のテーマは「志」です。
 志という言葉の意味から。

 心というのは、なぜ「こころ」を読むか。それは、「欲望がたくさんあって、気持ちがコロコロコロコロ変わる」から「こころ」と言います。

 「コロコロ変わる」心がたくさんあるということが「十:たくさん」を意味します。たくさんあるコロコロ変わる心を、変わらないように一つにまとめるから、「士」と「心」が合体して、「志」となります。

 こんな理屈は前からわかっていたのですが・・・。わかっているけどできないのが、人間です。

 今回、TKさんに教えていただいて、「山形農業ガールズ」「ウスケボーイズ」「究極の田んぼ」という本を購読しました。

 なんとまあすばらしい。ひとつの思いを実現しようとすれば、これほどの熱意、これほどの行動、これほどのこだわりを、「心から」「観じ」、熱望しなければならないのですね。これらの本は、今月号の士魂商才で紹介します。自分が恥ずかしくなります。コロコロ変わる欲望がたくさんある心ではなく、他の欲望など、眼中にないという生き方こそが、夢を実現するのですね。これが事上磨錬なんですね。

 では、拙首です。

人に学び 生き方学び 自らの 生き方創る 人生創る
困難を 突き抜け進む その熱意を 知って学んだ 夢の実現

 正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。「十(と)たび歌よみに与ふる書」のつづきです。

「縁語をたくさん使うのは和歌の弊害である。縁語も場合によってはいいけれど、普通には、縁語、掛け合わせなどがあるので、それがあるために、歌の趣を損なっている。この種の美しさは、美しさの中の下である。むやみに縁語を入れたがる歌よみは、むやみにダジャレを並べたる半可通と同じであり、当人は大得意であるが、はたからみれば、品が悪いことおびただしい。縁語を巧みに弄しようとするより、率直に表現した法が、よほど上品に見えるものだ」

縁語
和歌には、掛詞(かけことば)と縁語という技法があります。

掛詞とは、一種のダジャレです。小野小町の歌にこんな歌があります。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
高校のときにべんきょうしましたよね? 自分が年をとっていくこと、花の色があせていくのを見ながら嘆いているのですが、そのとき「長い雨」が降っていました。それを「眺め」とかけています。

 また江戸城の原型を築いた、戦国武将大田道灌にちなむ有名な歌もあります。大田道灌はある狩の途中で、大雨にあいます。途中民家があったので、そこで蓑を貸してくれるように頼みます。そうすると、家の中に一人でいた娘が、蓑ではなく、山吹の花を差し出しました。道灌は、「鼻ではなく蓑が借りたいのだ」と怒って、その場を去ってしまいます。
 その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子 中務卿兼明親王が詠まれた歌に

 七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞかなしき

という歌があります。その娘は蓑ひとつもない貧しさを山吹にたとえたのではないでしょうか。と言いました。道灌は己の不明を恥じて、和歌に精進するようになりました。

 おわかりですか?山吹は花は咲くけれど「実」がなりません。その実のと蓑を掛けているのです。これが掛詞。

 縁語は、一首の中のある語に、意味内容の上から関係のある語を用いることです。正岡子規がコテンパンに言っている古今集の紀貫之の歌です。

 糸による ものならなくに 別れぢの 心ぼそくも 思ほゆるかな

 「糸」と「ほそく」が縁語です。ちなみに「ほそく」は、「心細く」と、別れ道が「細く」なっていくことの意味を持つ掛詞です。

 簡単に言えば、掛詞は「一語」で、縁語は「二語以上」。あるいは縁語とは二つ以上の語の関係のこと、ということができます。

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このページは、宝徳 健が2012年3月24日 05:34に書いたブログ記事です。

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