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JR東日本の月刊誌「ひととき」。こんな本があるのですね。主張するのでもなく、叫ぶのでもなく、すーっと、心に入ってくる雑誌。4月号を紹介しています。キオスクで変えます。
今日から『「結び」を伝えるゆかしき里』です。昨日までの、「つつみ」と「むすび」の続きでもあります。
JR東日本の月刊誌「ひととき」。こんな本があるのですね。主張するのでもなく、叫ぶのでもなく、すーっと、心に入ってくる雑誌。4月号を紹介しています。キオスクで変えます。
今日から『「結び」を伝えるゆかしき里』です。昨日までの、「つつみ」と「むすび」の続きでもあります。
贈答品を結ぶ「水引」は、和紙を細長く切って作った紙縒(こよ)りを糊(のり)で固めたものです。そういえば、子供の頃、母が、よく紙縒りを作っていました。いろいろな用途があったっけ。母は姉に作り方を教えていました。私は手先が不器用なので、母と姉が作るのをみていました。
今、紙縒りを作れて、作り方を教えることができる母親がどのくらいいるのだろうか?
長野県飯田市は、国産の水引の7割を生産するそうです。田中敦子さんというジャーナリストが書かれている記事です。
飯田市は通貨したことはありますが、留まったことがない街です。南アルプスの麓、天竜川の上流です。
私は知りませんが、落語に「文七元結」という題目があるそうです。三遊亭円朝が完成させたそうです。飯田には、桜井文七という人がいて、元結に工夫を凝らし、光沢のあるの丈夫なものを作りました。その文七さんがモデルの落語なのかなあ。今度聴いてみよう。
その文七さんが、江戸時代に江戸に出て行って、店を開くと、たちまち大評判になったそうです。この人が、飯田市の元結を全国区にしました。
飯田は、昔から上質の楮(こうぞ)や三椏(みつまた)が自生し、紙漉きに必要な水にも恵まれた土地です。水濡れに強い和紙を産したので、商家の命ともいえる大福帳にと重宝されました。飯田台帳紙と言われています。 う~ん、まだ、書き始めたばかりなのに、飯田市に行きたくなってきた。
もともと怠け者で、食べることと旅が大好きな私ですが、この数年、旅らしい旅はしていません。
ゆ~っくり、神社やお寺やこういう街を訪ねて歩きたいな~。日本にはまだまだ素敵なところがたくさんあるのだろうな~。 つづく。
では、拙首です。
空にあそぶ ひばりの声を 聴きながら 大和の良さを 歩き訪ねる
正岡子規はお休みします。
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