包みの文化

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 JR東海の月刊誌「ひととき」。私は、この本が大好きです。今日も4月号の中から「古都に息づく包みの文化」の内容をかいつまんでご紹介します。田中敦子さんが書かれています。
 足利義満は、大湯殿を作り、大名たちを招いてもてなしをしたそうです。その際、大名たちは、荷物を取り違えないように、脱いだ服を家紋入りの絹布で包んみました。風呂から上がると包みを解いて、床に敷き、その上で着替えたことから、この布をやがて「風呂敷」を呼ぶようになりました。風呂敷の名前が広く使われるようになったのは江戸時代からだそうですが、始まりは室町時代だったのですね。

 へーーーーー、初めて知った~。

 京都の室町には、呉服問屋が集まっていて、ここに「ふろしき・袱紗ギャラリー」が誕生したそうです。また行ってみたいところができました。

 袱紗は風呂敷とよく似ていますが、裏地があり、袷仕立て(あわせしたて)の絹物で使い方も違います。では、袱紗の起源はなんでしょうか??? つづく

 拙首です。

 むすびのあと つつみを学ぶ たのしみに 文化の深さ 先人の知恵

 正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。「あきまろに答ふ」の最終回です。

 ついでに言っておこう。俳句では「人もなし」という語を「人なし」と同じ意味で使うけれども「人もあり」という語を使えば「も」の字は理屈臭くなってしまう。これも和歌より来たのではないかと思うが、和歌でも「人もなし」「影もなし」という「も」に意味はないが、「・・・・・人もありけり」と言えば、世の中で喜ぶ人もあるが、厭う人もある。まあ、あま理屈臭く考えないことだ。

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このページは、宝徳 健が2012年4月19日 07:42に書いたブログ記事です。

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