包みの文化

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 袱紗の起源からでしたね。
 袱紗は平安貴族が贈答品を贈る際に、埃よけとして掛けたことが起源だそうです。

 江戸時代になると袱紗使いは大名や裕福な町人にも広がっていきます。文様の意匠は染織技術の発達とあいまって、装飾華美になっていきます。江戸時代の後期には、広く庶民にも普及し、明治以降は贈答品を塗りの盆に載せて袱紗をかけ、華やかな友禅染の風呂敷で中包みし、家紋入りの家紋風呂敷で外包みして持参する形が主に関西圏で習慣となります。

 掛袱紗、七包み、外包みはワンセットだったんですね~。嫁入り支度でも必需品だったそうです。今の、台付袱紗で金封を包むのは省略形だったのですね。

 私たちは、歴史で、江戸時代は、暗い時代だと教わりました。封建制度は、今より、遅れたそうだと。アングロサクソンに導入されてしまった民主主義が一番だといいたげに。日本の制度の方がすぐれていたのに。

 江戸から明治期にかけて日本に来た、イザベラ・バードという女性がいます。彼女は、日本に来て驚嘆します。昔の日本の旅館は、ふすまで仕切られていますから、入ろうと思えばいつでも他の部屋に入れます。彼女はその部屋に、財布を置いて、3日ほど、他に旅行に行きました。旅行の途中、異国の女性であっても、みんながとても親切にしてくれて、そして、帰って来たら、財布がとられもせずに、そのまま置いてあったそうです。人々が親切なこと、農民が肥っていて楽しそうに笑っていること(欧米では農業は奴隷と同じ扱い)など、「ここは妖精の国か。私たちの制度を導入してこの国を壊すのが本当にいいことなのか」と考えます。

 私たちが習ってきた歴史は、まったく嘘だらけです。

 では、拙首です。

破壊された 国の心を 取り戻す その行いは 何ができるか

 正岡子規はおやすみです。

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このページは、宝徳 健が2012年4月20日 02:47に書いたブログ記事です。

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