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安岡先生の本を読んでいたら「木の五衰」という言葉に出会いました。
安岡先生の本を読んでいたら「木の五衰」という言葉に出会いました。
植木屋さんが木を手入れする言葉だそうです。
第一は「懐(ふところ)の蒸れ」といって、枝葉が繁ります。これを取り除かないと、日当たりも悪く風通しも悪くなります。酸素の供給が足りなくなります。科学的合成力も弱まり、木は衰えます。枝葉が繁るとそれだけ養湧ければなりません。だから、根の力、幹の力が弱ってきます。そして、虫がつきます。だから植木屋さんは、始終鋏を鳴らして、無駄な枝葉を刈り取っているんですね。
それを怠ると、次の段階の「梢(こずえ)止まり(うら止まり)が始まるそうです。大事な梢の伸びが止まります。成長しなくなります。これを放っておくと、根が上がってきて、地中から養分を吸い上げる力が弱くなります。これを「根上がり」または「裾上がり」というそうです。
そうするとてっぺんから枯れてきます、これが「梢枯れ」または「うら枯れ」です。これが木の五衰だそうです。
私たちも、いろいろな枝葉末節にとらわれ過ぎると「木の五衰」の通りになります。常に心がけるのは、「根本にかえれ」ということですね。禅の言葉で「脚下照顧」ですね。苦しいときほど足もとをしっかりみる。
万物の 生きる姿を 知りながら 省みるのは 己の生き方
正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。「人々に答ふ」の続きです。
蚊遣火(かやりび)の 煙にとざす 草の庵(いお)を 人しも訪はば 水鶏(くいな)聞かせむ
この歌の句法はまったく整っていない。四、五の句に至って調子抜けがおきている。四の句「人も訪へかし」などというような言葉つきに改めなければ、少しは次の句に続くであろうい。それにしても、「水鶏聞かせむ」の句は、まったくなっていない。水鶏聞くべしとか何とかに改めないと、まったく善き歌にはならない。
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