昭和二十八年五月九日、当時、出光興産㈱のただ一隻のタンカー「日章丸」が、イギリスの軍艦の追跡をのがれ、イランの石油を積んで、川崎港に入港しました。
イギリスは、その石油はイギリスのものだと国際裁判を起こします。そして、出光興産が勝利します。その時の佐三店主の言葉が「我、俯仰天地に愧じず(われ、ふぎょうてんちにはじず)」です。天地神明に誓って恥ずかしいことなど一切していないという意味です。
当時の日本は敗戦に打ちひしがれていました。欧米に好き勝手にやられていました。その中でも格段のパワーを有する石油メジャーに対抗するなど、敗戦国日本でなくても考えられません。
筆舌に尽くし難い障害を乗り越え、出光興産は、イギリスと紛争中のイランに、一隻しかない日章丸を派遣し石油を輸入しようとします。イギリスの軍艦に追い回され、石油を積んだ日章丸は日本に帰ってきました。日章丸が拿捕されていたら出光興産は潰れていたでしょう。
そのようなギリギリの状況下での佐三店主の決断です。でも、佐三店主は日章丸の出航にあたって、会社が潰れるとか日章丸を拿捕されたらとかは考えません。船長以下乗組員の安全のみを考えています。
この事件に、国民は、熱狂します。電話、電報などが出光に届きます。その時、出光興産で暗号電文を打ち続けたのが、私の母です。母が命を亡くす直前に、この手紙や電文を、出光興産店主室でコピーをさせてもらい、持っていきました。「私の人生も役に立ったのね」という母の言葉は今でも耳に残っています。
弊社月刊誌 士魂商才に「ペルシャ湾上の日章丸」を連載しています。今月号の原稿を書き始めました。涙なしには書けません。かつての日本人は、なぜ、このように素晴らしかったのだろうか。私たちは、なぜ、こんな日本に、こんな日本人にしてしまったのだろうか。またかつての素晴らしい日本に戻すことはできるのだろうか。いや、やらなければ。先人たちが生きた意味がない。
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