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昨日書いた、白川静先生の「詩経」に魅入られています。
昨日書いた、白川静先生の「詩経」に魅入られています。
私は現代の歌謡曲などは、どうでもいいと考えています。でも、この本を読むと、古代になぜ歌謡がまとめられたかがよくわかります。白川先生の「字統」「字訓」を読んだときも、なんという素晴らしい歴史的な偉業かと思いましたが、この詩経も、このように、古代の歌謡をまとめた本はないのではないかという素晴らしさです。
人間社会は、最初、他部族からの脅威から身を守るために、ひとつの氏のもとに結束していました。それがだんだんと国家となっていきます。古代支那でいうと、周王朝がその時期に当たるそうです。氏から国家へ。その解放された喜びに人々は謡い踊ったそうです。なるほど。
ですから、どの民族にも歌がある。詩もある。それを国民レベルで残したのが東洋で、貴族等の一部のみに残したのが西洋です。
東洋は国民レベルで残したので、民衆の生活感情のゆたかな表現を今でも感じることができます。
白川先生が興味深いことを書かれています。「歌は、おそらく「訴ふ」という語と語源的に関係があろう。文字の起源的な意味からいえば、歌は神を責めて呵し、神に訴えるものであった」
もう、納得納得。やはり白川先生はすごい。
すべしらぬ 古代の人の 訴えが 人魅入らせる 詩へとかわる
シリーズで紹介している万葉集です。
わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜(つくよ) さやけかりこそ
「大海原のとよ旗雲に入日がさしている。今夜の月はさわやかであってほしい」です。
古代の人は、空に浮かんでいる雲を見るだけで、歌が詠めたのですね。歌は神に訴えるか~。
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