六つの教育の着眼

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 昨日は、IKさんの会社の来期に向けたキックオフミーティングでした。
 組織が年々成長する姿は素晴らしい。観ていて感動します。

 積み重ね積み重ね、その時点での最適を求め、なおかつ自分たちの最良を掲げる組織の姿は、企業規模の大小ではなく実現できるものです。

 それも、「誰が正しいかではなく何が正しいか」という組織の外に目を向けた動きになっていながら、見つめているのは自分たちの成長です。とても楽しみです。

 では、昨日の続きです。教育の六つの眼目のうちの二つ目です。「楽しむ」。

 教える者も教を受けることが楽しければ、つまり、学ぶことが楽しければ、人間は進歩しません。論語にも「之を知るは之を好むに如かず。之を好むは之を楽しむに如かず」とあります。知るは頭で考えていますが、楽しむは本能+理性の部分です。

 日本人は特にこれが上手です。お茶を好むから、理性や本能を加え、たかだか茶を飲む行為を茶道にしてしまいます。好みが洗練されて楽しむとなるわけです。

 また、学校時代経験があると思いますが、授業や講義を楽しませてくれた先生が担当する学問を楽しんでしまいます。つまり、その先生の魅了です。今の学校教師にはこれが足りません。

 昨日のIKさんのキックオフミーティングでは、昨日の「安んじ」と今日の「楽しむ」がありました。目標を達成するということはこういうことです。

まずそれを 安んじそして 楽しんで 幸せを呼ぶ 人の力で

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このページは、宝徳 健が2012年6月28日 02:04に書いたブログ記事です。

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