六つの教育の着眼

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 六つの教育の着眼のひとつめは「安んじる」、ふたつめは「楽しむ」、みっつめは「休む」でした。

 「休む」をもっと積極的にすると、よっつめの「遊ぶ」となります。学に遊ぶ、子供が無心になって遊ぶのと同じように、学問の中に遊ぶ。これを遊学というのだそうです。

 今では、遊学というと、故郷を離れてどこかの大学へでも行くような意味になっています。でも、本来の遊の意味は、ゆったりと流れていく河水のダイナミックな意味を表しています、しんにょうを水を表すさんずいに変えてもいいですね。

 古代支那民族は、黄河の氾濫に悩まされ続けました。さんざん苦労したあげく、到達した結論は、黄河の水が最も激しいときに、その水筋に従って治水をやるということでした。そうすると黄河の水がいかに激流といえども、なんの抵抗もありません。反撃するということがありません。常に水はゆったりと自然に流れます。これを自適というそうです。

 黄河の治水に成功した古代支那民族は、水を優遊自適に扱うようになりました。

 このことから、漢民族の無抵抗主義が生れます。他国との戦いでも、できるだけ武力を使わずに、威嚇、謀略、スパイなどを使って、相手の国を疲れさせます。相手が攻めてきたら、これを攻撃しないで、自適させ引きずり回します。そして、ヘトヘトになったところを攻撃します。孫子も兵法の最初で「兵は詭道(へいはきどう)なり」と言っています。つまり、戦争とはだましあいだと。すぐに武力を使うのはおろかだと。

 話がそれましたが、学問でも、大きな自然の流れを自らが作ってその中で遊ぶことが大切なのでしょう。

安んじて 楽しみ休み 遊遊と 教え育み 器を作る

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このページは、宝徳 健が2012年7月 3日 05:45に書いたブログ記事です。

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