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母が亡くなったときに妹が激怒しました。医者に。
母が亡くなったときに妹が激怒しました。医者に。
「お兄(と彼女は私を呼びます)、外科で入院して、なんで、内科で死なないかんと?!」、と言って、彼女は、医者に手紙を書き続けました。訴えるつもりなど毛頭ないけれど、ちゃんと説明してくれと(母は骨折で入院しました)。
本人からは返事は来ません。その医者の上司からしか来ません。それも、のらりくらりと。病気の内容を説明するのではなく、「自分たちには責任はない」ということばかりでした。
亡くなったとき、父から私に「すまない」と夜中に電話がありました。妹を車で拾って、病院に向かいました。霊安室に行ったとき、父と母の遺体がありました。部屋の隅に、知らない男が座っていました。葬儀屋です。「私どもでやっていただけるのであれば・・・」と条件交渉を始めます。私は「今すぐかい!しばらく黙って座っとけ!」と言いました。
次に、父が医者に呼ばれて霊安室から出て行きました。「医者から、お母さんを、医学の今後のために、解剖させてほしいと言われた。子供たちに決めさせますと答えてきた」と父が言いました。妹と「生きている間にも手術ばかりして切り刻まれて、死んでからまた切り刻まれるのなんて耐えられないから断ってください」と父に伝えました。 その前に、医者は、この場にこんかい!死んだらすぐに解剖の話かい!都立大塚病院です。その場に医者がいたら、私はそいつをどうしていたか想像するだけでも自分が怖くなります。
その後も担当医は霊安室にも一切来ませんでした。通夜や葬儀に来てほしいなどとは思っていませんでしたが、電話も何も、その後一切ありません。もし、ほんの少しでも死者に対する哀悼の気持ちがあったら、妹はあれほど激怒していなかったと思います。
私と妹は母の意志がある最期の姿をみています。二人で病院にお見舞いに行ったとき、母が死にそうに苦しい顔をしていました。医者から二人が呼ばれました。「こいう治療をしたらお母さんが楽になるのですが、やりますか?」と能面のような冷酷な顔をした担当医が言いました。「わかっていたらなぜ、早くそれをやっていただけないのですか?」「(タンタンと)家族の同意が必要ですから」「家の電話番号も私の携帯も伝えていますよね?」「・・・・・」。よく自分を抑えたと思います。こんな医者が担当になったら患者はたまったものじゃありません。
そんな医者の実態を知っている私は、「医者なんてそんなもんさ。病気は見ても(診てもではない)、人間は観ていない(見てではない)のが医者だもんな」と思っていました。
その後、今の私のメインドクターと知り合ったり、石原結實先生や日野原先生のことを知ったり、子供病院のことを知ったりして、かなりそういう気持ちがなくなってきています。
そして、今回、また良い本に出会いました。
「医者が泣くということ 細谷亮太著 角川文庫」
です。医者の前に人間として人間らしく生きていらっしゃいます。患者のために泣いています。母をこんなお医者さんに診せたかった。この人なら妹も激怒しなかったでしょう。小児科のお医者さんです。小児がんは今では、8割が治るそうです。でも、2割の子供たちが旅立ちます。
「がんになったことが、現在の自分にとってプラスになっていると素直に思える瞬間がある」
「病気になったからこんな(良い)仲間と知り合ったのかなあ」
「家族の中で、誰かが病気(がん)にならなければいけないという運命なら、がまん強い私でよかった」
本に載っている子供たちの言葉です。自分の生き方の甘さを思い知らされます。
由佳ちゃんという子供がいました。細谷医師に診てもらって、本当にうれしくて、細谷医師の携帯にメールをしました。細谷医師は、迷惑メールを一緒に誤って由佳ちゃんのメールを消去してしまいました。
由佳ちゃんは旅立ちました。お母さんが、生前、由佳ちゃんが喜んでいたことを細谷医師に伝えました。細谷医師は、由佳ちゃんの携帯に残っているメールを再送してもらいました。
「私のこと、覚えていてくれるかなあ」から始まるメールだったそうです。
由佳ちゃんの日誌が残っていました。
「世の中、良い人いるわあ。久しぶりにあんな良い人にあった」(細谷医師のこと)
ブログもあったそうです。
「私は十五歳で肺がんと診断された。あなたがこれを読んでいるとき、私はもうこの世にいないかもしれない」
「病気して思ったこと、ありきたりかもしれないが、普通でいることのすばらしさ」
「今、普通で健康な状況にいる人は、今の自分を大切にしてほしい」
ああ、もうだめ。涙が止まりません。
ねえ、いじめられっ子のみんな、いじめられても、死ぬのやめようよ。生きているってこんなに大切なことなんだよ。生きたくても、生きられない人がいるんだよ。
おじさんなんて五十四年生きているけど、本当にだらしなくて、未熟な人間だよ。だけど、まだ生きられているよ。 一緒に生きようよ。 死ぬぐらいだったら、おじさんのところにおいでよ。
由佳ちゃんたちの分まで生きようよ。生きようよ。
一冊の本の力を改めて知りました。感謝合掌。
生きたくても それがかなわぬ 命あり 生きてるわれらは 知っているのか
がんなのに 自分のことより 人のことを 小さき命が おもひ続ける
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