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前にも申し上げましたが、大東亜戦争終結の詔書と藤田東湖の「正気の歌」を家に持って帰ったら、息子が欲しいと言ったので渡しました。彼は渡すと暗誦します。私より早く(笑)。私は、こういうものを息子に強制したことはありません。父も私に対してそうでした。だから、息子がただの「お勉強」だけでなく、人としての生き方を学ぼうとする姿に触れた時には、親として至福の幸せを感じます。
藤田東湖は社会科で習いましたよね?
前にも申し上げましたが、大東亜戦争終結の詔書と藤田東湖の「正気の歌」を家に持って帰ったら、息子が欲しいと言ったので渡しました。彼は渡すと暗誦します。私より早く(笑)。私は、こういうものを息子に強制したことはありません。父も私に対してそうでした。だから、息子がただの「お勉強」だけでなく、人としての生き方を学ぼうとする姿に触れた時には、親として至福の幸せを感じます。
藤田東湖は社会科で習いましたよね?
そうだそうだ、話は変わりますが、以前、家で息子とこの国のありかたについて話していたら、カミさんが「でも、江戸時代は武士の時代だから天皇陛下は関係なかったでしょ」と言いました。私と息子は目が点になりました。いったい日本はどういう教育を国民に施しているのでしょうか?
そもそも、行政が教育に関与するななどとおかしな話がはびこっています。教育は国防とともに国政の最も重要な仕事です。国家百年の大計です。もう一度、安倍総理に登板いただいてこのことをはっきりとさせる必要があります。
うちのカミさんのような人間には、藤田東湖のことを説明するのが一番でしょう。長くなるので何回かに分けて説明します。
藤田東湖は水戸藩第九代藩主 徳川斉昭(とくがわなりあき)の側近を務め、斉昭の懐刀と言われました。あっ、「ふじたとうこ」です。まさか読めない人はいないでしょうね(汗)?
文化三年(1806年)三月十六日に水戸で生まれています。
藤田東湖は、水戸藩の天保の改革の中心人物として藩政改革を推進するなど、その政治手腕は他藩にも響きました。
嘉永六年(1853年)、斉昭が幕政海防参与に任ぜられた時は、東湖も幕府から海防御用掛に任ぜられ、攘夷の政策立案に携わり、水戸藩一藩だけではなく、日本の政治に参与することになりました。
藤田東湖は全国の藩士たちから絶大な信頼と声望を一身に集めました。各藩の志ある若者は、江戸に来た際には必ずと言ってよいほど東湖のもとを訪れ、その薫陶を受けたました。
西郷隆盛もそのひとりでした。でも、東湖は不慮の最期を遂げてしまいます。つづく
藤田東湖の「正気の歌」というのがあります。読んでいて日本人として身が震えます。これも長いので、少しずつ紹介します。
『正気の歌』
天地正大の氣、悴然(すいぜん)として神州に鐘(あつま)る。
秀でては、不二(ふじ)の嶽(がく)となり、蘶蘶(ぎぎ)として千秋に聳(そび)え、
注ぎては、大瀛(だいえい)の水となり、洋洋として八州を環(めぐ)る。
発しては、萬朶(まんだ)の櫻となり、衆芳(しゅうほう)與(とも)に儔(たぐひ)ひし難し。
凝(こ)りては、百錬の鐡となり、鋭利なること鍪(ぼう)を断つべし。
盡臣(じんしん)皆(みな)熊羆(ゆうひ)、武夫、盡(ことごろ)く好仇(こうきゅう)。
神州、孰(たれ)か君臨す。萬古、天皇を仰ぐ。
【現代語訳:このまま何度も暗唱していれば日本人なら自ずと意味はわかるのですが読者サービス】
天地に満ちる正大の氣は、粋を凝らして神州日本に集まり満ちている。
正気、地に秀でては富士の峰となり、高く大いに幾千年もそびえ立ち、
流れては大海原の水となり、あふれて日本の大八州(おおやしま)をめぐる。
開けば、幾万もの枝に咲く桜の花となり、ほかの草木の及ぶところではない。
正気、凝れば、百たび鍛えし日本刀となり、切れ味するごく兜を断つ。
忠臣いずれもみな勇士。武士ことごとく良き仲間。
神州日本に君臨されるはどなたか。太古のときより天皇を仰ぐ。
ああ~、読んでいると周りの気が集まり、精神が充実してきます。朝読むといいですね。朝の暗誦に加えます。これを英語の訳せますか? 支那語に訳せますか? 訳せるはずがありません。 この精神文化は日本にしかありません。今の日本人は捨て去りましたが・・・・・。悲しいことです。小学校から英語教育だって・・・・・。先人たちが築き上げた世界に誇る文明を、現代の私たち日本人が破壊し尽くしています。
そもそも、行政が教育に関与するななどとおかしな話がはびこっています。教育は国防とともに国政の最も重要な仕事です。国家百年の大計です。もう一度、安倍総理に登板いただいてこのことをはっきりとさせる必要があります。
うちのカミさんのような人間には、藤田東湖のことを説明するのが一番でしょう。長くなるので何回かに分けて説明します。
藤田東湖は水戸藩第九代藩主 徳川斉昭(とくがわなりあき)の側近を務め、斉昭の懐刀と言われました。あっ、「ふじたとうこ」です。まさか読めない人はいないでしょうね(汗)?
文化三年(1806年)三月十六日に水戸で生まれています。
藤田東湖は、水戸藩の天保の改革の中心人物として藩政改革を推進するなど、その政治手腕は他藩にも響きました。
嘉永六年(1853年)、斉昭が幕政海防参与に任ぜられた時は、東湖も幕府から海防御用掛に任ぜられ、攘夷の政策立案に携わり、水戸藩一藩だけではなく、日本の政治に参与することになりました。
藤田東湖は全国の藩士たちから絶大な信頼と声望を一身に集めました。各藩の志ある若者は、江戸に来た際には必ずと言ってよいほど東湖のもとを訪れ、その薫陶を受けたました。
西郷隆盛もそのひとりでした。でも、東湖は不慮の最期を遂げてしまいます。つづく
藤田東湖の「正気の歌」というのがあります。読んでいて日本人として身が震えます。これも長いので、少しずつ紹介します。
『正気の歌』
天地正大の氣、悴然(すいぜん)として神州に鐘(あつま)る。
秀でては、不二(ふじ)の嶽(がく)となり、蘶蘶(ぎぎ)として千秋に聳(そび)え、
注ぎては、大瀛(だいえい)の水となり、洋洋として八州を環(めぐ)る。
発しては、萬朶(まんだ)の櫻となり、衆芳(しゅうほう)與(とも)に儔(たぐひ)ひし難し。
凝(こ)りては、百錬の鐡となり、鋭利なること鍪(ぼう)を断つべし。
盡臣(じんしん)皆(みな)熊羆(ゆうひ)、武夫、盡(ことごろ)く好仇(こうきゅう)。
神州、孰(たれ)か君臨す。萬古、天皇を仰ぐ。
【現代語訳:このまま何度も暗唱していれば日本人なら自ずと意味はわかるのですが読者サービス】
天地に満ちる正大の氣は、粋を凝らして神州日本に集まり満ちている。
正気、地に秀でては富士の峰となり、高く大いに幾千年もそびえ立ち、
流れては大海原の水となり、あふれて日本の大八州(おおやしま)をめぐる。
開けば、幾万もの枝に咲く桜の花となり、ほかの草木の及ぶところではない。
正気、凝れば、百たび鍛えし日本刀となり、切れ味するごく兜を断つ。
忠臣いずれもみな勇士。武士ことごとく良き仲間。
神州日本に君臨されるはどなたか。太古のときより天皇を仰ぐ。
ああ~、読んでいると周りの気が集まり、精神が充実してきます。朝読むといいですね。朝の暗誦に加えます。これを英語の訳せますか? 支那語に訳せますか? 訳せるはずがありません。 この精神文化は日本にしかありません。今の日本人は捨て去りましたが・・・・・。悲しいことです。小学校から英語教育だって・・・・・。先人たちが築き上げた世界に誇る文明を、現代の私たち日本人が破壊し尽くしています。
神州の 気に満ち満ちた 我が国に 再びならん 再びならん
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