藤田東湖

| コメント(0) | トラックバック(0)
 この記事は右のカテゴリー「和歌」に格納されています。

 迷惑メール攻撃がすさまじく続いています。これはたまらん。天は私に何を伝えようとしているのだろうか?
 まあ、そんなことどうでもいいや。藤田東湖の続きです。
 西郷隆盛も藤田東湖に傾倒した一人でした。

 西郷隆盛が初めて東湖の元を訪れたのは、安政元年(1854年)四月十日のことでした。西郷は友人であり、同志であった薩摩藩士 樺山三円(かばやまさんえん)と共に小石川の水戸藩邸にある東湖の住まいを訪ねました。東湖と初め対面した西郷は、東湖の学識、胆力、人柄、態度に大きな感銘を受けました。
 
『正気の歌』つづき
皇風は六合(りくがふ)に洽(あまね)く、明徳は大陽に侔(ひと)し。
世に汚隆(おりゅう)無くんばあらず。正氣、時に光を放つ。
及(すなは)ち大連(おおむらじ)の議に參(さん)し、侃侃(かんかん)として瞿曇(くどん)を排す。
及(すなは)ち明主の斷を助け、焔焔(えんえん)として伽藍(がらん)を焚(や)く。
中郎、嘗(かつ)て之(これ)を用ふ。宗社(そうしゃ)、盤石安し。
淸麿、嘗(かつ)て之を用ひ、妖僧、肝膽(かんたん)寒し。

【現代語訳:このまま何度も暗唱していれば日本人なら自ずと意味はわかるのですが読者サービス】
天子の御稜威(みつい)は、東西南北天地すべてあまねく広がり、その明らかなる御徳は太陽に等しい。
世の中に栄枯盛衰の絶えることはない。時に正気が光り輝く。
たとえば、欽明帝の御代のこと、物部尾輿(もののべおこし)、中臣鎌足、大連(おおむらじ)の議にて、剛直なる正論をもって、蘇我稲目(そがのいなめ)の惑える仏教を排斥した。
すなわち、英明なる帝の叡慮(えいりょ)を助け、蘇我の仏像、海に捨て、私寺ことごとく焔をあげて焼き尽くした。
たとえば、中臣鎌足、正気を行う。「乙巳(いっし)の変」(大化の改新)。
蘇我氏の専横、倒して皇室国家を安泰ならしめた。
たとえば、和気清麻呂、正気を行う。宇佐八幡の御神託をいただいて、妖僧「弓削道鏡」、肝を冷やした。

大和人 正気の行い 積み重ね 皇国日本の 國創りゆく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/3916

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2012年8月28日 07:48に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ものすごいメール攻撃にさらされています」です。

次のブログ記事は「支那・朝鮮事情(八月二十七日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。