この記事は右のカテゴリー「和歌」に格納されています。
かつての日本人は、庶民にいたるまで知っていました。この国のどこかに天子がいて、だから、日本は幸せなのだと。続いているのだと。尭や舜などの、支那で理想とされている古代リーダーたちは、自分の存在さえ天子が忘れるぐらいの世の中がいいと言っています。
かつての日本人は、庶民にいたるまで知っていました。この国のどこかに天子がいて、だから、日本は幸せなのだと。続いているのだと。尭や舜などの、支那で理想とされている古代リーダーたちは、自分の存在さえ天子が忘れるぐらいの世の中がいいと言っています。
古代支那で理想とされたことは、古代支那では実現しませんでした。歴史を破壊してきたからです。天子を中心とする国体を構築した日本でのみ実現しました。人間社会においては、夢のようなことです。その夢のような世界を実現してきた、天子様と国民の関係を、国民の側から破壊しました。そして、無残な責任転嫁社会になってしまいました。
さあ、藤田東湖の正気の歌の続きを紹介します。もう一度思い出しましょう。このすばらしい国を。
然れども、其の鬱屈(うっくる)するに當(あたり)ては、四十七二人を生ず。
及(すなは)ち、知る人亡ぶと雖(いえど)も、英霊、未だ嘗(かつ)て泯(ほろ)びず。
長(とこしへ)に天地の間に在り、凛然として、彜倫(いりん)を敍(じょ)す。
孰(たれ)か能(よ)く之を扶持するものぞ。
卓立する東海の濱(ひん)に、忠誠、皇室を尊び、孝敬、天神に事(ふか)ふ。
文を修め、兼ねて武を奮ひ、誓つて胡塵(こじん)を清めんとす。
【現代語訳】
しかし、正気は、その鬱屈するときもあったが、赤穂義士の四十七人を生み出す。
すなわち、当時を知る人々が亡くなっても、英霊たちが滅んだことは、いまだかつてない。
抜きん出て東海の日本の近辺、忠誠尽くして皇室を尊び、
両親を敬うがごとくに、天津神につかえまつる。
学問を修め、さらに武道をきわめ、誓って異国のけがれを払わんと欲す。
かの時代は 学びにおいて 覚悟あり 国を支える 国の民あり
コメントする