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安倍晋三が、かつて内閣総理大臣の頃、最初の外遊は支那でした。
安倍晋三が、かつて内閣総理大臣の頃、最初の外遊は支那でした。
支那に着いて出迎えたのは外交上のカウンターパートナーである温家宝です。そのとき、温家宝が一瞬固まりました。着いて安倍首相の最初の一言が「拉致問題は中朝間にもありますね」と言ったからです。温家宝は、あると答えると一緒にがんばりましょうと言われるしないと言えばうそになります。だから固まりました。
李登輝元台湾総統が来日するとき、支那は、「それなら温家宝は訪日させない」と言いました。安倍首相は無視しました。温家宝は来日しました。支那は日本を必要としています。
東シナ海のガス田問題で、支那ともめたとき、外務省の人間が「そんなに強気だと支那は軍艦を出すかもしれません」と言いました。安倍首相は「それならこちらも出せばいい」と言いました。事態は一気に終息しました。
支那は悔しくて仕方がありません。NHKと朝日新聞を使ってネガティブキャンペーンを徹底的に展開しました。国民はそれに騙されてあのすばらしい内閣を葬り去りました。二度とこのようなことがないようにしましょう。
防衛庁の防衛省への昇格、教育基本法の改正、国民投票法の成立。たった1年でしたが安倍内閣の功績は枚挙にいとまがありません。インドと戦略的パートナーとなり支那をけん制しようともしました。
当時の安倍首相の病気は、ある薬を飲めば治りました。でも、国内で認可されていませんでした。総理大臣が認可されていない薬を飲むわけにはいかないと安倍首相は飲みませんでした。
勇と知を兼ね備えた安倍首相でしたが、残念ながら、ブレーンが情けなかった。官房長官が塩崎ではダメです。絶対に稲田朋美がいい。次期総理です。
稲田朋美の「私は日本を救いたい」「日本を弑いする人々」もぜひお読みください。
さあ、そろそろ、国際法違反である東京裁判史観から離れ、正しい國創りをしましょう。
過去があり 未来も描ける この國を 吾らこの手で 築き上げよう
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