蕎麦

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 私は出身が九州なので、蕎麦というものを高校時代まであまり食べたことがありませんでした。福岡はうどん文化です。博多ラーメンに注目が集まりますが住んでいるとうどんの方が身近です。一番好きだったのは、博多の総鎮守さん 「櫛田神社」のとなりにある「かろのうろん(かどのうどん)」です。
 高校生の頃、何かの拍子に奇跡的に女性とデートをする機会がありました。当時の私には考えられないことです(笑)。何を話していいかわかりません。川端通商店街を歩きました。ここには開いていたら幸運になると言われる川端ぜんざいの店がありました(今はいつもあいているみたいです)。

 そこをすぎ、いよいよ「かろのうろん」へ。最低ですね、デートで女性をうどん屋に誘うなんて。私は、大好物の丸天うどんとビールを頼みました。彼女曰く「ほうとっくん(博多弁では私の名前はこうなる)、高校生はビールやら飲んだらいかんとよ」。私「しぇからしか女やねえ、だまっときやい」。

 これではもてるはずがありません。でも、懐かしい思い出です。彼女は今、どうしているんだろう。もちろんデートはこれ一回だけ。

 蕎麦は大学で東京に行ってからよく食べるようになりました。最初は、うどんも蕎麦も汁が黒いので「東京の麺類っちゃ、なしてこげなとかいな。こげんと食べられんやん」と思っていました。あの黒い汁のうどんは今でも食べることはできませんが、蕎麦はそれまで食べていなかったこともあって、文化の違いを受け入れることが出来ました。上野駅二階の立ち食いうどんの烏賊天蕎麦が大好きでした。

 就職して福島県郡山市に行って、ざるそばを食べるようになりました。「これはうまい!」。でも、ざるそばのことをあまり知らない私は、店員さんから「蕎麦湯いかがですか?」と聞かれて「おいくらですか?」と聞き返してしまいました・・・。

 サラリーマン時代の会社の本社に転勤してからは、藪蕎麦に通いつめました。仕事に飽きる午後三時頃「そばでん、食べに行こうかねえ」と思い、藪蕎麦へ。板わさを食べながら、熱燗を一本。その後、ざるそばを食べて、職場に戻りました。 そうですねえ、三日に一度はやっていたかなあ。

 本社の後、名古屋に転勤しました。中部圏の蕎麦はだめ。おいしくない。でも、飛騨高山に、日本で一番ではないかと思われる蕎麦屋があります。 つづく。

蕎麦を喰い 蕎麦湯を呑んで あじはうは 蕎麦のおあじと 蕎麦屋の思ひ

 今住んでいる大阪はうどんはうまいのですが、蕎麦がねえ・・・。

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このページは、宝徳 健が2012年10月 4日 06:28に書いたブログ記事です。

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