昨日、ブログで知り合った深田さんと、深田さんのお住まいのある木更津で会いました。食事をして二次会の素敵なバー(また紹介します)に行く途中、少し道に迷いました。
迷ったおかげで出逢えた神社です。天が二人を導いたのですね。
小さな神社なのですが、調べてみるとこの神社はすごいですね。神社のHPから紹介します。昨日、このブログで書いたことも載っています。
(以下、神社のHPから)
源頼朝「お手植えの蘇鉄(そてつ)」
昔、源頼朝が君津市草牛(そうぎゅう)の森家で兵馬の疲れを癒し、そこを離れる際、森家へのお礼として、頼朝が蘇鉄を植えたという言い伝えがあります。
大正15年、当時の(株)木更津銀行頭取露崎銀平氏が、森家からこの蘇鉄を譲り受け、八剱八幡神社へ奉納し、現在に至っております。
「嶺田楓江寿碑(みねだふうこう じゅひ)」(市指定文化財)
嶺田楓江は、江戸時代後期の1818年生まれ。儒学や蘭学を学び、各地を遊学しました。1843年には、現在の北海道を踏査して、江戸幕府に屯田制
(とんでんせい)や、北方警備の必要性を訴え、「海外新話」を書きました。しかし、治安を乱したとして、江戸から追放され、当時の請西村(現在の木更津市
請西)に移り住みました。
後に当地で地元子弟の教育に専念したことから、1881年(明治14年)に長寿とその業績をたたえた寿碑が建立されました。
この碑は、文を重城保が撰し、題字を英国領事館コラウブスが、書を清国の劉世安が記したという、全国でも珍しい碑です。
「八剱八幡神社の格天井(ごうてんじょう)装飾画」(市指定文化財)
八剱八幡神社の拝殿の天井には、狩野派の技法で「風景」、「花鳥」、「動物」等の装飾画が162枚描かれており、18世紀の作品と考えられています。
※「格天井(ごうてんじょう)装飾画」は、社務所の都合により、ご覧いただけない場合がございます。あらかじめご了承願います。
「五大力船絵馬(ごだいりきせん えま)」(市指定文化財)
五大力船は、江戸時代から明治時代にかけて、木更津と江戸の間の輸送を行った大型帆船で、徳川幕府より特権を与えられていました。
絵馬には、当時の東京湾を疾走していた五大力船の姿が、写実的に描かれています。
大きさは、縦51.8cm、横85.4cmで、明治時代初期頃の制作と考えられています。
コメントする