柴五郎:たった一人の日本人が国を救う

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 日英同盟もデグニティ(尊厳)をもった国家の独立もたった一人の日本人がいたからなしえたことをご存知ですか?

 清朝末期に、支那で義和団の乱が起こります。
  義和団という秘密結社が外国人を排斥しようとして、駐留している外国軍及び外国人を襲いました。もちろん正規の清国軍ではありません。ただの反乱なのに、なんと、支那の時の権力者 西太后はそれを積極的に支持しました。民間の反乱を利用して国際法に基づいて清にいる外国人及び外国軍を殲滅しようとしたのです。

 山形有朋が、日清戦争のときに日本軍人に言ったことは「支那で捕虜になると、顔の皮ははがれ、鼻はそがれ、眼はくりぬかれ、陰部は切り落とされる。たまらない苦しみを味わうことになるから、捕まったら自決しろ」と言っています。支那ほどではなくても、欧米の軍隊でも、戦争に勝ったら略奪と強姦は、上官が公然と認めます。でないと、民度が低い欧米や支那や朝鮮では、兵士が働きません。ベトナム戦争の時に、韓国軍がベトナムの女性を犯しまくった事実を見てもそのことがわかります。大嘘の南京大虐殺で支那が表現していることも、大嘘の強制された従軍慰安婦で朝鮮が主張していることも、すべて自国民ならこうするということをしゃべっているだけです。日本人はそんなことはしませんし、思いもつきません。彼らは語れば語るほど、自分たちを辱めています。

 さて、欧米人は自分たちもやっているだけに、そういうことを知っています。ですから、義和団の乱で、支那人が、自分たちを襲ってきたときに、恐怖を感じました。しかし、自分たちを守る十分な軍隊は置いていません。一番近い日本に出兵を頼みました。出兵には時間がかかります。

 その時、ほんの少人数で、自国民ならず、外国の軍隊と外国人を守り切った日本人がいました。それが「柴五郎」です。柴五郎の指揮のあまりの見事さと、そして、日本軍の礼儀正しい行いに、イギリス公使クロード・マクドナルドは、英国首相及び英国女王にその素晴らしさを伝えました。それが日英同盟につながりました。でないと、誇り高き大英帝国が極東の島国と同盟など組むはずがありません。日英同盟は日露戦争において日本に勝利をもたらした大きな要因となりました。否、日英同盟が締結されていなかったら、日本はロシアと戦争はできませんでした。

柴五郎
 Shiba goro 2.jpg


 そう、たった一人の日本人が日本を救ったのです。そういう日本人を作る教育がかつての日本にはありました。

 さて、先ほどなぜ、日本軍が礼儀正しいと言ったか。それは、この乱を制圧した時、欧米各国の軍隊は、上司公認の下、略奪と強姦をしたからです。

 国家は絶対に守らなければならない。自国民で守らなければならない。ただ戦争で負けるということではないのです。男を殺し女を犯すのは彼らの常識です。他国は自国を絶対に守ってくれません。なのに、世界で唯一自国を悪とする憲法 日本国憲法は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とのたまっています。こんな憲法を変える力も、今の私たち日本人にはありません。過去に国を守ってくれた方々に合わせる顔もありません。

 知っていますか? この欠陥憲法は「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」(日本国憲法18条)と言っています。

 米軍が日本に来たときに、マッカーサーが最初に行ったことは、兵士のための女を要求したことでした。そして、奴隷を探しました。日本に奴隷などいるわけがありません。マッカーサーはそれが最後まで信じられずに、こんな憲法18条を押し付けました。アホですね。

 さて、独立時にもう一人ました。白洲次郎です。彼は愛する母国のため、自分のプリンシプルを絶対に曲げずにマッカーサーと対決します。サンフランシスコ講和条約(昭和二十六年九月八日調印、昭和二十七年四月二十八日発効)のディグニティも、白洲次郎がいなかったらなかったでしょう。経済産業省は彼がいなかったら出来ていなかったでしょう。

 たった一人の日本人が日本を救う。憲法を変える力もない、堕落した今の私たちにはこんなことができません。私たちは日本を退化させてしまいました。

 道を我が物顔で占領して歩き、他の人の通行の邪魔になっても平気な顔をしている女子高生・女子大生。乗り物の中で平気で化粧をする、お化けのような女性たち。人の邪魔になることなどお構いなしで、スマフォを操作しながら歩いている愚か者たち。電車の席で、スマフォを降りする寸前まで操作し、ギリギリに降りて乗ってくる人たちの迷惑になっても平気な若者。電車の優先席で前にお年寄りが立っていても席を譲らず、マタを大きく広げスマフォで遊んでいるバカ者ども。美しい日本語をぶち壊すテレビに出る愚か者たち。

 みんなまとめて国外退去の刑にして、アフガニスタンに送り込みたいものです。

 私たちは日本をこんな国にしてしまいました。あんなに美しかったこの国を。憲法と教育を変えるには時間がかかります。江戸時代のように民間レベルで寺子屋を作らないと。

命かけた たった一人の 行ひが 国家を救う 日本があった

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このページは、宝徳 健が2012年11月11日 10:13に書いたブログ記事です。

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