千代子はまだ生きています

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 ちょっと重たい仕事をしています。息抜きにブログを書きます。

 三十歳の頃、ある事件をきっかけに、自分の心やあり方を改造したくてしかたがなくなりました。でも、どうして良いかわかりませんでした。最初、「どう変えたいか」とか「どうやって変えるか」ばかりを考えていました。でも、まったくわかりません。苦しんだ挙句「どう変えたいか」「どうやって変えるか」よりも「何にに気づくか」ということが大切なのだと考え始めました。それが何かを狂ったように探し求めました。

 手当たり次第、いろいろなものやことに触れました。

 その中の一つに靖国神社の遊就館がありました。遊就館に行きました。
 なぜこの人たちは、戦争で死んだんだろう。本当にお国のために死んだんだろうか? と疑問に思い、ある意味、そういう生き方を否定する心をもって訪ねました。

 そんな自分の小賢しい考えなど、吹き飛ばしてくれました。「なぜ、この方たちは、こんなに若いのに、もうすぐ死ぬのに、こんなにきれいな和歌を詠めるんだろう(和歌は心を表すので嘘を読んだらすぐにわかります)」「真岡の逓信省の女性たちは、なぜ、こんなに必死になって国を守ろうとし、そして、堂々と死ねるんだろう」「昔の日本人は、なぜ、死を見つめながら生きることができるんだろう。だから、心が常にきれいなのだろうか」などなど・・・。涙が次から次からあふれ出て止まりません。

 その中の一つに、「妻千代子へ」という遺言状があります。立ち止まって何度の何度も読みました。

 今月号(1月号)の月刊致知の巻頭言は中條高徳先生です。今月号を開いてびっくりしました。その「妻千代子へ」の遺言状のことが載っています。そして、中條先生の所へ、ある手紙が来たので、中條先生が開いてみると、なんと、その「千代子」さんだったそうです。「千代子は生きています。八十五歳で幸せです」と書いてあったそうです。心臓が止まりそうになる感動とはこのことなのでしょうか?

 靖国神社の遊就館にはぜひ行ってください(数年前の改装の前の方がよかったけど)。

 ある戦争未亡人の一人が詠んだ詩がありあます。「かく醜き国になりぬれば捧し命のただに惜しまる」。

 私たちのことを言われています。あんなに素晴らしかった国を、戦後のたった六十数年間で外国人に騙されて、こんな国にしてしまった私たち国民の愚かさを。

 今月の月刊致知はいつにも増してすごい。

 私淑している千玄室先生(茶道裏千家前家元)、五百年続いた虎屋の黒川社長。大好きな中西輝政先生、鈴与の鈴木社長(二百年企業)、ウシオ電機の牛尾社長、鈴木秀子先生、村上和雄先生、渡部昇一先生・・・。テーマは「不易流行」。変えていいことと変えてはいけないことの陽と陰のバランスです。日本人が戦後忘れ去ってしまったことです。

 なぜ日本が世界最古の国か。なぜ日本が唯一歴史が継続した国か。皇室の不易流行にあります。国民がいかに愚かでも皇室はこの姿勢を崩しません。ありがたいことです。

 世界で二百年以上続いている企業の45%は日本にあります(三千社)。支那は九社です。南朝鮮は皆無です。百年以上続いている企業は日本に十万社あります。

 私の天命は、自分の体と頭と心を磨きぬいて、この日本のDNAを継続させることです。中小零細企業の持続と永続の力になることです。そのために生き抜きます。

 神様が、致知を私にプレゼントしてくださいました。感謝合掌。

目の前に 天が送りし 本があり 本が伝へる 天の教へを

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このページは、宝徳 健が2012年12月 6日 22:48に書いたブログ記事です。

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