義士祭

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 今日は、赤穂四十七士の討ち入りの日ですね。
 千七百二年の出来事ですから、三百十年前の出来事です。

 TVで時代劇がほとんど放映されなくなりました。そのかわり、観るに堪えないような番組がたくさん。悲しいことです。

 当時の将軍は徳川綱吉です。家光の四男です。母親は桂昌院です。この人が悪かった。家光の側室です。側室の付き人だったのを家光が手を付けて側室になったと思ってください。

 将軍の母親になった桂昌院は、権勢を誇ります。生類憐みの令もこの討ち入りの裁定も、桂昌院の影響を受けているといわれています。母親が息子の生き方に口を出すととんでもないことが起こります。

 男性が陽で女性が陰(悪いとか暗いとか言う意味ではありません)です。易経でも、古事記でも、はっきりと遺言として残されて地ます。女性が陽、男性が陰の人間社会は崩壊してしまいます。社会が崩壊すると、女性はきれいにしても男性に褒められなくなります。子供を産んでも、男性が喜ばなくなります(家族が崩壊するから)。女性が陽になると、結局損をするのは女性です。

 さて、今日は、泉岳寺や赤穂で「義士祭」が行われます。赤穂は、一度行きました。泉岳寺は、東京にいるときは毎年行っていました。義士祭に行って近くの蕎麦屋で一杯やる・・・。年中行事でした。

 泉岳寺は、もう煙がいっぱい。前が見えないぐらいです。参列者が線香を供えるからです。なつかしいなあ。

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このページは、宝徳 健が2012年12月14日 04:56に書いたブログ記事です。

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