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今日の日経はまだ買っていませんが、どんな文化芸術欄の記事なのだろうか?
昨年末12月23日、30日の同欄は、興福寺が紹介されていました。天平伽藍を蘇らそうというプロジェクトです。
今日の日経はまだ買っていませんが、どんな文化芸術欄の記事なのだろうか?
昨年末12月23日、30日の同欄は、興福寺が紹介されていました。天平伽藍を蘇らそうというプロジェクトです。
天平時代は政争が続き、天然痘が流行しました。そのような時代背景にもかかわらず、文化の質の高さは際立っています。興福寺の多川俊英貫、首は、天平文化の特性を「端正、典雅、剛直」と表現しています。興福寺にある、そんな天平の群像の代表が八部衆です。
八部衆は、これも炎上して、礎石のみを残して存在していない、西金堂に本尊、釈迦如来の守護神として安置されていました。今は国宝館にあります。ずらりとならぶ八体の像は、それぞれが端正、典雅、剛直と表現するにふさわしい優れた造形で、すべてが国宝です。
※八部衆
インドで古くから信じられてきた異教の八つの神を集めて、仏教を保護し、仏に捧げ物をする役目を与えて、八部衆とします。仏教の教えに基づいた神ではないので、その生い立ちや性格、また姿やかたちは様々に説かれ、複雑で不明な部分が多くあります。仏教に取り入れられてからも、異教の神の姿のまま表現されることが多くなっています。
洲浜座(すはまざ)の上に直立し、守護神としての性格上、阿修羅像を除いて武装します。いずれも個性的な表情を取ります。8体とも造形はよく似ており、 十大弟子像とともに同一工房で造られ、本来一具として安置されていたことが知られます。なお両群像ともに鎌倉時代に補彩されたことが記録にみえます。
八部衆の名は『法華経』に「天、龍、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩ご羅伽(まごらか)」があげられますが、興福寺の場合は「五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、 迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)」です。
この中の一つが先日紹介した阿修羅です。次回阿修羅についてもう少し解説しましょう。
歴史を紐解いていくと、そこには人が生きた色あせない真実と真理があります。知れば知るほど、現代のどんなものよりも楽しめます。まだまだ知らないことがたくさんあります。これからの一生で、これらを知っていくことができる自分に、とてもわくわくしています。
八部衆は、これも炎上して、礎石のみを残して存在していない、西金堂に本尊、釈迦如来の守護神として安置されていました。今は国宝館にあります。ずらりとならぶ八体の像は、それぞれが端正、典雅、剛直と表現するにふさわしい優れた造形で、すべてが国宝です。
※八部衆
インドで古くから信じられてきた異教の八つの神を集めて、仏教を保護し、仏に捧げ物をする役目を与えて、八部衆とします。仏教の教えに基づいた神ではないので、その生い立ちや性格、また姿やかたちは様々に説かれ、複雑で不明な部分が多くあります。仏教に取り入れられてからも、異教の神の姿のまま表現されることが多くなっています。
洲浜座(すはまざ)の上に直立し、守護神としての性格上、阿修羅像を除いて武装します。いずれも個性的な表情を取ります。8体とも造形はよく似ており、 十大弟子像とともに同一工房で造られ、本来一具として安置されていたことが知られます。なお両群像ともに鎌倉時代に補彩されたことが記録にみえます。
八部衆の名は『法華経』に「天、龍、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩ご羅伽(まごらか)」があげられますが、興福寺の場合は「五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、 迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)」です。
この中の一つが先日紹介した阿修羅です。次回阿修羅についてもう少し解説しましょう。
歴史を紐解いていくと、そこには人が生きた色あせない真実と真理があります。知れば知るほど、現代のどんなものよりも楽しめます。まだまだ知らないことがたくさんあります。これからの一生で、これらを知っていくことができる自分に、とてもわくわくしています。
そこそこに 人々残した 証あり 千年まえの 息吹を感じ
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