坤為地

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 今年のテーマである「陰を積む」を実現するために時々易経の「坤為地(こんいち)」を学びます。易経は陽と陰の組み合わせで六十四の卦があります。乾為天(けいいてん)は、すべてが陽で成り立った、龍の盛衰を表す物語です。坤為地は、すべてが陰で成り立った卦です。

 逆境に逆らわず、むしろ徹底的に受け容れ、したがうことで新たな道が開け、ものごとは通じていくと教えています。昔の日本女性の在り方です。

 竹村亞希子先生の「超訳・易経」など、竹村先生の数冊の本と、安岡先生の数冊の本を参考にします。
 大地の働きにならって、従順に受け容れ、従っていくならば、物事は正しく、健やかに大きく循環して通じていく。陰の道は妻の道、臣下の道と言われています。乾為天が龍であったのに対して、坤為地は牝馬(ひんば)が出てきます。

 従順な牝馬のように、自分のやるべきことを淡々と行い、どこまでも歩いていくならば、主を得て、自分が進むべき道を見出して生きがいを得るというものです。

 先頭に立とうとすれば道に迷って失敗します。進むべき道がわからないときは、遅れてついていくことで、道は開けます。したがう立場というのは苦しいこともあります。行きづまり、耐えがたいとき、自分が自由でないと感じたときは、大地の働きに学ぶといいと。大地の徳はすばらしいものです。大地からすべてのものが生まれます。大地は天の気をなんの抵抗もなくゆったりと受け容れ、地上に万物を載せて、その重みに軽々と耐えています。大地は限りなく広大で、どんなものでも受け入れて生かし、ありとあらゆる形あるものを生み育てていくパワーをもっています。徹底して受け容れ、したがうという陰の力を積極的に発揮したなら、人としての厚み、大きな度量が育っていきます。

 坤為地の最初の言葉が「坤は、元(おお)いに亨(とお)る。牝馬の貞に利(よ)ろし」です。

 「牝馬のように従順に従うならば、その時は大いに通っていく」という意味です。

 馬は利口で人に馴れていう言を良く聞いて働きます。丈夫でどこまで歩いてもへこたれません。昔は人が生活していくうえでの大切なパートナーでもありました。

 牝馬は牡馬(ばば)にくらべ、扱いにくいと言われています。繊細でわがままで、反抗心が強く、多少のことでは観念しません。まさに女性ですね。私もかも・・・・・・。

 でも、一度人を信頼して馴れたら、百パーセントの能力を発揮して一生懸命に働きます。天の働きを徹底して受け容れ、従うという大地の働きにたとえて牝馬が登場します。

 なるほど。陽は、自分が活発に動いていく様子です。でも、みんなが陽だったら、その集まりはとんでもないことになります。誰かが陰の働きをして受け入れて、その集団を天の動きと合せないと、集団が正しい方向に導かれないこととなります。これが武士道であり、婦道であり、大家族主義なのですね。だから日本は二千六百七十三年間も続きました。

 私たちは、生活していくため、働くために、何かに、誰かに従わなくてはいけない状況がほとんどです。つまり、自分の都合の良いことよりも悪いことの方が多い。でも、従うとストレスも感じます。無理難題を言いつけられたり、重い責任を負わされたりして不平不満も言いたくなります。「なぜ、自分だけがこんなに苦労をするのか」と感じることもしばしばです。坤為地の卦は、従う立場にある私たちが苦労だけで終わらないためにも、従うという陰の力をもっと上手に、したたかに用いていくことを教えています。

 私は、自分の事業については、陽が必要です(ただし亢龍にならないために調子に乗ってはいけない)。一方、仲間や所属している団体を活かすためには、陰が必要です。陰を学びます。五十四年間も生きてきて、やっとこんなことがわかるなんて。古典は早くから読む必要があります。天命を果たす自分づくりというのは大変なことですね。まだまだ修行が必要です。

 陰を以て 陰の気持ちで 活かすのは 己以外の 人たちのこと

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このページは、宝徳 健が2013年1月 3日 08:49に書いたブログ記事です。

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