曹操の妻

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 三国志が大好きです。何度読んだかわかりません。でも、日本の三国志は、劉備玄徳と諸葛亮孔明をよく書きすぎています。読み始めのころは、劉備や孔明の素晴らしさに酔いしれていました。もちろん今でも劉備や孔明のことは大好きですが、三国志を知れば知るほど、魏の曹操の偉大さを感じるようになりました。どうして三国志は劉備や孔明にスポットを当てすぎるのだろうか?

 曹操も素晴らしいが曹操の妻が素晴らしい。まさに易経の陰の役割を果たしています。
 曹操の妻は卞(べん)皇后と言います。つつましやかな素晴らしい妻だったそうです。

 ある日曹操が、豪華な刺繍の入った着物や玉を出して、卞皇后に「ほしいものを取れ」と言いました。卞皇后は「そうですか」といって、中加減のものを取ったそうです。曹操が「もっと良いものをとればいいではないか」というと、「その上なるものを取らば貧となさん、その下なるものを取らば偽となさん、故にその中なるものを取れり」と答えました。

 上等のものを選べば、欲が深いと言われ、下等なものを選べば、わざとしたと思われる。だからな中ほどのものをいただいたと。

 また支那は、外戚(皇后の実家)が皇后の地位を得ようとして、なにかと金や身分を無心に来ます。支那の帝国がダメになる三大要因は、皇帝の贅沢(殷の紂王や夏の桀王など)、宦官の権力奪取(秦の趙高など)、外戚への権力集中(漢の呂家、唐の楊貴妃など)です。日本の皇室が素晴らしいのは外戚がのさばった歴史がない。この三つがすべて当てはまらないことです。だから、二千六百七十三年も続いています。

 曹操の妻 卞皇后も、親戚の者が無心に来ると「お上の恩恵をあてにして贅沢をしようと思ってはなりません」というのが口癖だったそうです。偉い!

 曹操は彼女のことを「怒りて容を変えず、喜びて節を失わざるは、もとよりこれ、もっと難しとなす」と言っています。

 彼女が産んだ曹丕が粗相の後継者に決まったとき、女官たちが口々に祝辞を述べ「このたび曹丕様が太子となられ、天下万民喜びを一つにしています。この際、皇后さまには大いに恩賜を下しおかれますように」と言いました。つまり、私たちに、金品をよこせということです。

 卞皇后は答えました。「いいえ、将軍様(曹操)は曹丕の齢が上で跡継ぎにされただけのことです。私としては自分の教育に誤りがなければいいと、それを念じる気持ちでいっぱいです。そんな大げさな振る舞いなどとてもする気にはなれません」。

 アウフヘーベンですね~。古代支那には、こういう人もいました。今は漢民族はほとんど滅んでいますので、こういう人は少なくなっています。

 なにより、学べば学ぶほど、「正しいこと」がわかってきて、それまで自分が思い込んでいたことが修正されてきます。それがうれしい。最近は、曹操ファンです。

広大な 大地を舞台に かけめぐる 古代の英雄 今も息づく

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このページは、宝徳 健が2013年1月24日 05:32に書いたブログ記事です。

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