どの本よりわかりやすい源氏物語 超初級篇

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 戦後、大学の中で一校だけ「古事記」「源氏物語」を勉強してもGHQが文句を言わない学校があったそうです。上智大学。なるほど~。渡部昇一先生は、2年間徹底的に古事記と源氏物語を学んだことがその後の人生においてどれだけ役に立ったかとおっしゃっています。

 GHQによって、かつての素晴らしい日本が叩き潰され、愚かな國民がそれに騙されて、この國はぐちゃぐちゃになってしまいました。古典を読む力をつけましょう。でないと日本は、いつまでたっても日本になりません。

 さて光源氏が玉鬘と対面します。
 美しく成人した玉鬘に、亡き夕顔の面影を偲んで、遠い思い出が切なく思い返されます。

 そして、数奇な運命にもてあそばれ、今また父ではない自分のもとに身を寄せる玉鬘が不憫に思われ、光源氏は歌を詠みました。

恋ひわたる 身はそれなれど 玉鬘 いかなる筋を 尋ね来(き)つらむ

「亡き夕顔を思い続けてきた自分の許に、その娘が来るようになるとはどいういう縁(えにし)だろうか」

 さて、その年も押し詰まり、光源氏は玉鬘をはじめ女君たちに贈る新年の晴れ着を選んでいました。かたわらに控える紫の上は、光源氏の選び方によって、それぞれの女君の容貌や気立てをさり気なく探ろうとします。心鋭く紫の上の気持ちを知った光源氏は、かえって紫の上の思惑をはぐらかし、やがて紫の上を相手に、女性論・歌論の花を咲かせるのでした。

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このページは、宝徳 健が2013年1月27日 05:39に書いたブログ記事です。

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