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天武天皇ファミリーの結束を誓った吉野における天武天皇の和歌でした。
よき人の よしとよく見て よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見
天智天皇の最期に際し、天智天皇からの禅譲を受けていたら大海人皇子(後の天武天皇)は、殺された可能性が高かったのです。危険を察知したから大海人皇子は吉野へ隠棲しました。
壬申の乱の勝者になってから七年の年月が経ち、勝者の息子たちの間に不協和音が流れ、危険な状態に達していたことが推察されます。天武天皇はファミリーの絆の強さを再確認するためではなく、むしろその「弱さ」に対する不安を持っていたため吉野にでかけたのでした。
そして、前述の和歌を詠んだのでした。
「壬申の乱の始まりの地である吉野をよく見て、その前後の苦労と難関を親子が協力して乗り越えたことを忘れてはならないぞ、息子たちよ。後継者争いが起きないように気を付けなさい」
実体験に裏付けられた天武天皇のメッセージが秘められています。
ここで不思議なのは、天武天皇がなぜ吉野を誓いの地に選んだからです。天武天皇だけではなく、古代史の重要な局面でしばしば登場する吉野とはいったい、どのような土地なのでしょうか。つづく
続くには 乗り越えてきた 事柄を 二度と起こさぬと 心の近ひ
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