白鳳の貴公子 4

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 興福寺はかつて何度か焼けてしまっています。
 そのときに焼けてしまった本尊の薬師如来像はどんな姿だったんだろう。美しかったんだろうなあ。

 その本尊を守護しているのが木造の十二神将です。これは今でも、興福寺の東金堂にあります。薬師寺の十二神将もいいんですよね~。私はお寺は京都より奈良の方が好きです。一日中でも遊んでいることができます。

 興福寺のHPに十二神将の解説があります。掲載しますね。


木造十二神将立像(もくぞうじゅうにしんしょうりゅうぞう)


©飛鳥園

【制作時代】 鎌倉時代
【安置場所】 東金堂
【文化財】 国宝
桧材 寄木造 彩色 彫眼 鎌倉時代
像高113.0~126.6cm

 薬師如来の守護神で、左右に各6体、計12体を安置します。いずれも武装します。伐折羅(ばさら)大将像が草履をはく以外は沓(くつ)をはきます。各像とも髻(もとどり)に干支(えと)の動物をつけます。波夷羅(はいら)大将像の足ほぞに「建永二年四月廿九日菜色了」、珊底羅(さんていら)大将像の足ほぞ(あ しほぞ)に「衆阿弥」の銘文があるところから、建永2年(1207)に彩色され、衆阿弥によって造られたか、もしくは彩色されたことが知られます。12体 もの群像それぞれに個性的な動きをつけ、しかも全体としてまとめあげる技量は高く評価され、鎌倉時代の天部彫刻の代表作です。


各像が頭上につける干支(えと)の動物は次の通りです。

毘羯羅(びから)大将像 招杜羅(しょうとら)大将像
真達羅(しんだら)大将像 摩虎羅(まこら)大将像
波夷羅(はいら)大将像 因達羅(いんだら)大将像
珊底羅(さんていら)大将像 あに羅(あにら)大将像
安底羅(あんていら)大将像 迷企羅(めきら)大将像
伐折羅(ばさら)大将像 宮毘羅(くびら)大将像

 十二神将は守護神の性格をあらわすために武装し、また仏敵をおどし、人々の悪い心に対して激しく怒っているのです。仏教の発祥地インドで古くから 信仰されていた鬼霊とか武器、あるいは辺境や異境の王朝や民族を神格化して仏教に取り入れて守護神としたもので、薬師如来の12の誓願に応じてあらわれる 薬師如来の分身とされます。(以上、興福寺のHPより)

 宗教というのは(今はやりの邪教ではない)、人間の英知です。私は仏教徒ではありませんが、特にこの仏教という東洋の知恵は素晴らしいと思っています。人間を悪とし神と契約しなければきちんと生きられないとしたユダヤ教、キリスト教、イスラム教とは違います。人間は誰にでも仏になる資格があり、その力を自分の中に求めよとしています。

 そして、日本の仏像美術は筆舌に尽くしがたいものがあります。ずーっと観ていても飽きません。自分の心が穏やかな時は、仏像はおだやかな笑顔を返してくれます。自分の心が怒っている時はジッと睨みつけます。自分の心が悲しい時は、悲しみを返してくれます。

 仏像美術に触れると、他の美術品が好きになります。ポール・セザンヌ、エル・グレコ、ラファエロ、ルーベンスなどは、仏像美術に触れてから好きになりました。

 人間とはとても醜い存在です。でも、こんなに素晴らしいものが人間の内側に隠されているとしたら、それこどが「仏」なのでしょう。醜いままで終わるか、それとも、仏を求めていくか。私は後者を選びたい。

人びとの 心あらはす その姿 仏の姿 心の姿

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このページは、宝徳 健が2013年2月 1日 04:34に書いたブログ記事です。

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