過去ブログの記事の一つです。2011年の年末から2012年の年初にかけて書いた記事なので、とても新しい記事なのですが、希望者が複数いらっしゃいましたので。やはり検索ができないようです。どうしてなんだろう? 私のパソコン4台とアイパッドはできるのに~。まあ、そんなことを言っていても仕方がありません。「ひとりごと 宝徳 健」に格納しています。まず二つ紹介します。
2011年11月5日の記事です。
日付は忘れましたが、1983年2月に約二十数日間、親友のYTJと一緒に、支那に個人旅行に行きまし た。大学の卒業旅行です。YTJは、学生時代に世界中を一人旅した人間です。アメリカ大陸、アフリカ大陸もひとりで縦断していますし、オーストラリアも ヨーロッパも一人でまわっています。私の卒業にあたり、「一緒に海外に行こう。自分はまだ共産圏に行ったことがないから、支那に行こう」と提案してくれま した。私は海外旅行はそのとき初めてでしたが、「まあ、ヨーロッパやアメリカはまた行く機会もあるだろう」とその提案に乗りました。もうひとり、TRDと いう友人と三人で話し合ったのですが、結果的に、YTJとの二人旅になりました。
二人の珍道中を紹介します。
当時、日本で支那のビザをとろうと思って、旅行社を何社か回ったのですが、「中国は個人旅行ではビザはとれない」と言われました。当時はまだまだ、支那 は閉鎖的でした。でも、当時の支那の指導者は、胡耀邦です。親日国家でした。
二人で、「香港に飛んで、香港の中国旅行社でビザの申請をしよう。それでも取れなかったら、東南アジアを旅行して帰ってこよう」となりました。
何の計画もしていません。飛行機の便も、向こうでの移動手段も、宿泊先も決めていません。これが、YTJの旅行コンセプトです。このコンセプトは私も大好 きです。成田-香港往復40,000円のノースウェスト・オリエントのチケットを購入しました。当時の為替レートは230円~240円/$ですし、航空自 由化なんてまだまだ先の話ですから、とても安い運賃でした。
さてさて、面白い事件がいっぱい。毎日は書けませんが、楽しみにしてくださいね。
2011年11月6日の記事です。
香港の往復40,000円の切符を手に入れた、YTGと私です。帰りの切符は捨てるつもりでした。
出発当日、成田空港に行きました。出国手続きを終えて、いざ、飛行機に!
ノースウエスト・オリエントの搭乗する予定だった飛行機のところまで行くと、「満員だから乗れない」というではないですか。搭乗手続きもしているのに。海 外旅行が初めての私には、わけがわかりませんでした。こうなると経験豊富なYTJに任せるしかありません。彼は、交渉に交渉を重ねました。時には、穏やか に、時には激しく。
ノースウエスト・オリエントは、今日は、ホテルを用意するから明日の便で飛んでくれとの主張を譲りません。別に予定 も何もないのですから、私は、それでもいいかなあと思って、YTJに「そうする?」と聞いたら、彼は、「お前は黙っとけ」と・・・。交渉し始めたら、自分 の結論に落ちるまで、絶対にあきらめない彼の姿勢は、その後社会人になってもとても勉強になりました(笑)。
ついに、ノースウエスト・オリエントが折れました。「お客様、別の航空会社になりますが、それでもよろしいですか?」。私たちは了承しました。そして、案内されたのが、JALです。
JALのスチュワーデスさんに案内された席に着くと、YTKが肘で私のわき腹をつつきながら、小さいけれども、ドスの聞いた声で言いました。「おい、宝 徳、ファーストクラスやんけ。お前、初めての海外旅行でファースト乗るかああ」。往復40,000円のエコノミーがファーストに化けた瞬間でした。交渉と はあきらめてはだめなんですね。
私たちは、GパンにTシャツにサンダルでした。ましてや、YTJは、アフロヘア。変な種類の人間に見られたのでしょうか。ともあれ、私たちの旅のスタートは、JALのファーストクラスから始まりました。
それ以来ファーストクラスなんて乗ったことがありません。ファーストクラスのなんとまあ、すごいこと。次回につづく。
日付は忘れましたが、1983年2月に約二十数日間、親友のYTJと一緒に、支那に個人旅行に行きまし た。大学の卒業旅行です。YTJは、学生時代に世界中を一人旅した人間です。アメリカ大陸、アフリカ大陸もひとりで縦断していますし、オーストラリアも ヨーロッパも一人でまわっています。私の卒業にあたり、「一緒に海外に行こう。自分はまだ共産圏に行ったことがないから、支那に行こう」と提案してくれま した。私は海外旅行はそのとき初めてでしたが、「まあ、ヨーロッパやアメリカはまた行く機会もあるだろう」とその提案に乗りました。もうひとり、TRDと いう友人と三人で話し合ったのですが、結果的に、YTJとの二人旅になりました。
二人の珍道中を紹介します。
当時、日本で支那のビザをとろうと思って、旅行社を何社か回ったのですが、「中国は個人旅行ではビザはとれない」と言われました。当時はまだまだ、支那 は閉鎖的でした。でも、当時の支那の指導者は、胡耀邦です。親日国家でした。
二人で、「香港に飛んで、香港の中国旅行社でビザの申請をしよう。それでも取れなかったら、東南アジアを旅行して帰ってこよう」となりました。
何の計画もしていません。飛行機の便も、向こうでの移動手段も、宿泊先も決めていません。これが、YTJの旅行コンセプトです。このコンセプトは私も大好 きです。成田-香港往復40,000円のノースウェスト・オリエントのチケットを購入しました。当時の為替レートは230円~240円/$ですし、航空自 由化なんてまだまだ先の話ですから、とても安い運賃でした。
さてさて、面白い事件がいっぱい。毎日は書けませんが、楽しみにしてくださいね。
2011年11月6日の記事です。
香港の往復40,000円の切符を手に入れた、YTGと私です。帰りの切符は捨てるつもりでした。
出発当日、成田空港に行きました。出国手続きを終えて、いざ、飛行機に!
ノースウエスト・オリエントの搭乗する予定だった飛行機のところまで行くと、「満員だから乗れない」というではないですか。搭乗手続きもしているのに。海 外旅行が初めての私には、わけがわかりませんでした。こうなると経験豊富なYTJに任せるしかありません。彼は、交渉に交渉を重ねました。時には、穏やか に、時には激しく。
ノースウエスト・オリエントは、今日は、ホテルを用意するから明日の便で飛んでくれとの主張を譲りません。別に予定 も何もないのですから、私は、それでもいいかなあと思って、YTJに「そうする?」と聞いたら、彼は、「お前は黙っとけ」と・・・。交渉し始めたら、自分 の結論に落ちるまで、絶対にあきらめない彼の姿勢は、その後社会人になってもとても勉強になりました(笑)。
ついに、ノースウエスト・オリエントが折れました。「お客様、別の航空会社になりますが、それでもよろしいですか?」。私たちは了承しました。そして、案内されたのが、JALです。
JALのスチュワーデスさんに案内された席に着くと、YTKが肘で私のわき腹をつつきながら、小さいけれども、ドスの聞いた声で言いました。「おい、宝 徳、ファーストクラスやんけ。お前、初めての海外旅行でファースト乗るかああ」。往復40,000円のエコノミーがファーストに化けた瞬間でした。交渉と はあきらめてはだめなんですね。
私たちは、GパンにTシャツにサンダルでした。ましてや、YTJは、アフロヘア。変な種類の人間に見られたのでしょうか。ともあれ、私たちの旅のスタートは、JALのファーストクラスから始まりました。
それ以来ファーストクラスなんて乗ったことがありません。ファーストクラスのなんとまあ、すごいこと。次回につづく。
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