この日誌は右のカテゴリー「ひよこクラブ」に格納されています。
ビルマ(ミャンマー)のアウン・サン・スーチーが南朝鮮に行って、ありもしない日本の従軍慰安婦を批判しました。マスコミはなぜこのスーチーを崇めるのだろうか? ちょっと真実を勉強すれば、このスーチーがどれほど極悪な人間かはすぐにわかります。
では、それをご理解いただくために、日本を例に挙げてまず説明します。
ビルマ(ミャンマー)のアウン・サン・スーチーが南朝鮮に行って、ありもしない日本の従軍慰安婦を批判しました。マスコミはなぜこのスーチーを崇めるのだろうか? ちょっと真実を勉強すれば、このスーチーがどれほど極悪な人間かはすぐにわかります。
では、それをご理解いただくために、日本を例に挙げてまず説明します。
アメリカが日本をぶち壊して、日本の支配を支那人と朝鮮人に任せたとします。支配階級及び警察などの國家の要職はすべて支那人と朝鮮人です。
天皇陛下は処刑され(陛下、もうしわけございません。例です)、皇室の女性はみんな支那人と朝鮮人のなぐさみものとなりました。
それでも日本人はがんばって、自らの手で自らの國を取り戻します。そのとき、支那人と朝鮮人を排除するのではなく、一緒に國づくりをしようと持ちかけます。國の名前まで日本から日支朝と変えました。しかし、一人の極悪な日本女性が自分が、國をすべて支配したいと思い、支那人と朝鮮人と組んで、日本人を排除した政権を作ろうとたくらみ、「民主化」の名の下に、支那人と朝鮮人と一緒に活動を始めました。
我が国がこんな状況になったらどうします? 絶対に嫌ですよね?
ミャンマーという國は、以前、ビルマと言う素晴らしい仏教國でした。ビルマ人単一民族の國でした。十九世紀に英國はこの國を征服しました。すぐに大量のインド人と華僑を入れて金融と商売をやらせました。さらに、周辺のごく少数な山岳民族を山からおろし、キリスト教に改宗させ、彼らに警察と軍隊を構成させました。
単一民族、単一宗教のビルマはこれによって多民族、多宗教國家に改造され、この國の主だったビルマ人はみんな農奴に落とされました。
亜細亜を白人支配から解放した大東亜戦争後、ビルマの歴史はビルマ人が再び國を取り戻すための涙ぐましい努力で彩られています。リーダーであるメ・ウィンは鎖國を命じました。そのために経済は停滞してビルマは最貧國に落ちました。ネ・ウィンはデノミと徳政令もやりました。
なぜわざと貧乏になる政策をしたのかと思いますよね? 貿易を止められた上に徳政令では経済と金融を握っていた華僑やインド人には何のうまみもなくなって、ビルマから出て行きました。
残るは警察と軍隊を握る山岳民族です。やさしいビルマ人は山に帰れとは言わず、共存を訴えました。その証としてビルマ人の國を意味する「ビルマ」を「ミャンマー」に変えました。これがビルマからミャンマーに変わった理由です。
植民地支配の遺した負の遺産を誰のせいにするでなし、國名も変え、貧しさに耐えつつ平和的に解決しようとしたのです。素晴らしではないですか! それを世界各國のメディは軍事独裁政権として経済制裁を課したのです。なぜかは後ほど。
そういうビルマ人の涙ぐましい努力をすべてぶち壊しているのが、極悪女 アウン・サン・スーチーです。スーチーは植民地時代の支配階級だった山岳民族やビルマ人不満分子を糾合し、政権奪取を狙いました。メディアが崇めているスーチーの正体とはこんなものです。とにかくメディアに騙されないで!!! 真実を知ってください。
この筋書きを裏で描いたのが英國です。ビルマにまともに独立されては、自分たちがやった行いが世界にばれてしまいます。また一定の影響力も遺したい。独立に尽力したリーダーの一人である、スーチーの父親を英国はぶち殺しました(メディアではスーチーの父親は日本軍と戦ったとしていますが、まっ赤な嘘です)。娘のスーチーを英國に連れて行き、英國人と結婚させました。そして、似非(えせ)民主化運動の旗手としてビルマに送り返したのです。
英國は各國に圧力をかけ、ビルマを悪者に仕立て、経済制裁をしました。ビルマはしかたがなく支那と結びつきました。支那もビルマを食い物にしました(これについてはまた後日にでも)。
私は決してミャンマーとは言いません。ビルマと言います。スーチーに騙されない。メディアにも騙されない。スーチーが何を意図してありもしない従軍慰安婦を批判したのかは知りません。欧米のアジアに対する大東亜戦争時のひどい仕打ちを隠したい欧米の意思がまだ働いているのかもしれません。
スーチーは悪人です。ほんのちょっと真実を学べばわかることです。
昼ごはん:サンドイッチと午後の紅茶ストレート
夜ごはん:あれこれ
天皇陛下は処刑され(陛下、もうしわけございません。例です)、皇室の女性はみんな支那人と朝鮮人のなぐさみものとなりました。
それでも日本人はがんばって、自らの手で自らの國を取り戻します。そのとき、支那人と朝鮮人を排除するのではなく、一緒に國づくりをしようと持ちかけます。國の名前まで日本から日支朝と変えました。しかし、一人の極悪な日本女性が自分が、國をすべて支配したいと思い、支那人と朝鮮人と組んで、日本人を排除した政権を作ろうとたくらみ、「民主化」の名の下に、支那人と朝鮮人と一緒に活動を始めました。
我が国がこんな状況になったらどうします? 絶対に嫌ですよね?
ミャンマーという國は、以前、ビルマと言う素晴らしい仏教國でした。ビルマ人単一民族の國でした。十九世紀に英國はこの國を征服しました。すぐに大量のインド人と華僑を入れて金融と商売をやらせました。さらに、周辺のごく少数な山岳民族を山からおろし、キリスト教に改宗させ、彼らに警察と軍隊を構成させました。
単一民族、単一宗教のビルマはこれによって多民族、多宗教國家に改造され、この國の主だったビルマ人はみんな農奴に落とされました。
亜細亜を白人支配から解放した大東亜戦争後、ビルマの歴史はビルマ人が再び國を取り戻すための涙ぐましい努力で彩られています。リーダーであるメ・ウィンは鎖國を命じました。そのために経済は停滞してビルマは最貧國に落ちました。ネ・ウィンはデノミと徳政令もやりました。
なぜわざと貧乏になる政策をしたのかと思いますよね? 貿易を止められた上に徳政令では経済と金融を握っていた華僑やインド人には何のうまみもなくなって、ビルマから出て行きました。
残るは警察と軍隊を握る山岳民族です。やさしいビルマ人は山に帰れとは言わず、共存を訴えました。その証としてビルマ人の國を意味する「ビルマ」を「ミャンマー」に変えました。これがビルマからミャンマーに変わった理由です。
植民地支配の遺した負の遺産を誰のせいにするでなし、國名も変え、貧しさに耐えつつ平和的に解決しようとしたのです。素晴らしではないですか! それを世界各國のメディは軍事独裁政権として経済制裁を課したのです。なぜかは後ほど。
そういうビルマ人の涙ぐましい努力をすべてぶち壊しているのが、極悪女 アウン・サン・スーチーです。スーチーは植民地時代の支配階級だった山岳民族やビルマ人不満分子を糾合し、政権奪取を狙いました。メディアが崇めているスーチーの正体とはこんなものです。とにかくメディアに騙されないで!!! 真実を知ってください。
この筋書きを裏で描いたのが英國です。ビルマにまともに独立されては、自分たちがやった行いが世界にばれてしまいます。また一定の影響力も遺したい。独立に尽力したリーダーの一人である、スーチーの父親を英国はぶち殺しました(メディアではスーチーの父親は日本軍と戦ったとしていますが、まっ赤な嘘です)。娘のスーチーを英國に連れて行き、英國人と結婚させました。そして、似非(えせ)民主化運動の旗手としてビルマに送り返したのです。
英國は各國に圧力をかけ、ビルマを悪者に仕立て、経済制裁をしました。ビルマはしかたがなく支那と結びつきました。支那もビルマを食い物にしました(これについてはまた後日にでも)。
私は決してミャンマーとは言いません。ビルマと言います。スーチーに騙されない。メディアにも騙されない。スーチーが何を意図してありもしない従軍慰安婦を批判したのかは知りません。欧米のアジアに対する大東亜戦争時のひどい仕打ちを隠したい欧米の意思がまだ働いているのかもしれません。
スーチーは悪人です。ほんのちょっと真実を学べばわかることです。
【昨日の食事】
朝ごはん:サンドイッチと野菜ジュース昼ごはん:サンドイッチと午後の紅茶ストレート
夜ごはん:あれこれ
【平成二十五年個人方針】
1.テーマ
陰を積む
クライアントと仲間を陽に引き上げるために自らが陰を積む(易経の坤為地(こんいち)の心を知る)
(理由)
自分の性格と行動は明らかに陽である。しかしながら、これまでの人生を検証すると、陽のみ、つまり易経の乾為天(けいいてん)の時は、必ず亢龍の時期を迎
えている。一方、陰陽うまく重ねあわされた時には、必ず人生における充実した期間を過ごしている。わが社の理念である「武士道」を実践・実現するために
も、天命を果たすためにも、クライアントおよび仲間を陽に引き上げるためにも「陰」を徹底的に身に着けることが大切と判断した。本年は、陰の修業を行う。
2.実現すること
(1)年間定量目標の達成(事業・個人)
(2)年間定性目標の達成
(3)週間行動具体策の実行
(4)日間行動具体策の実行(ルーティン)
3.行動目標
実行するための必須テーマ 夜2時の就寝または朝4時(遅くても)の起床
目標達成のために絶対に必要な「自分を見つめなおす時間」「クライアント・仲間のことを考える時間」「ルーティン実行の時間」を創造するために、翌朝の業
務開始が早いときは夜2時までこれらを実行し、翌朝の業務開始が通常以降の時は朝4時に起きる。そのために酒量を昨年の3分の1にする。
4.具体的目標及び行動具体策
(1)年間目標
<事業定量目標>
①借入金の半分返済
②平成二十五年三月三十一日時点の未決事項「0」(三日前までに業務準備終了)
③ビジネスモデル50個以上作成 8個 残り42個
④新規提案100個以上 8個 残り92個
⑤売上目標(割愛) 詳細事業計画は1月末までに作成 ごめんなさいまだ出来ていません。
⑥出版2冊
<個人定量目標:年間>
①3600回の感謝の気持ちを具現化する(手紙を3600通:士魂商才・年賀状を含む)155通/3,445通
②200冊以上の読書 21冊/179冊 読んだ本はこの日誌の一番下に紹介しています
③ブログ730通以上 99通/6721通
④体重10キログラム減 83.5㎏(これがスタート)→80.7㎏
⑤寺子屋12回以上 1回
⑥和歌365首以上 41首/324首
⑦士魂商才12冊 1冊
<個人定性目標>
①大学・終戦の詔勅の完全暗唱
②易経六十四掛の内容理解
③一カ月に3日の休日
(2)週間目標
①先週検証・次週計画:2月2日:〇
②息子に手紙を書く:2月2日:〇
③先週業務(とくにクライアント)の検証と方針立案:
(3)日間目標(ルーティン)
①私は毎朝、朝のおつとめをします(皇居遥拝、宗像大社遥拝、神拝礼)〇 4/4
②私は毎朝、三つの唱和をします(般若心経、教育勅語、大祓詞)〇 4/4
③私は毎朝、少しずつ新しい暗唱をします(今は大学と終戦の詔書を完璧に覚える)× 3/4
④私は毎朝、三つの連携先について5分ずつ深く思考します 〇 4/4
⑤私は毎朝、一部分を順番に掃除します 〇 4/4
⑥私は毎日、新しいビジネスモデル構想を1つノートに書きだします(完成ではない) 〇 4/4
⑥私は毎日、新しいビジネスモデル構想を1つノートに書きだします(完成ではない) 〇 4/4
⑦私は毎日、未決管理表を詳細に読み込みます 〇 4/4
⑧私は毎日、全クライアントのことを3分以上考えます 〇 4/4
⑨私は毎日、5年間の夢、1年間の夢を3分以上眺めます 〇 4/4
⑩私は毎日、10分以上次の事業づくりの勉強をします 〇 4/4
(39/40 97.5%)
【行動規範:八戒】
いつも最悪の事態を想定せよ
そして、今日一日の最良の行動をとれ
自分のことばかりしゃべるな(ブログでは勘弁ね)
自分以外の人に強い興味を持て(ただし、必要以上に期待をかけるな、過去の出来事のこだわるな)
自分の馬鹿加減を常に思い出せ
人から受けた恩は忘れるな
人へ施した恩はすぐに忘れろ
小さな仕事こそ丁寧にやれ
<読んだ本>
コ
レキヨの恋文、超訳・易経、プリンシプル、月刊致知二月号、白洲次郎 占領を背負った男、歴史街道2月号、精神論抜きの電力入門、知の愉しみ 知の力、歴
史に学ぶリーダーシップ、親子のための仏教入門、孤愁(サウダーデ)、絢爛たる悪玉、南洲翁遺訓を読む わが西郷隆盛論、ひととき2月号、三国志 人間通になるための極意書に学ぶ、四書五経入門、WEDGE3月号、WILL3月号
、WILL2010年10月号、子々孫々に語り継ぎたい日本の歴史
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