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東風を「こち」と呼べる日本人はどのくらいいるのでしょうか?
東風吹かば にほひ起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
菅原道真公の歌です。最近の学校の教科書を見ると、「春な忘れそ」のところを「春を忘れるな」としています。歴史を勝手に改ざんするなよ。
この歌もそうです。
田子の浦ゆ うちいでてみれば ましろにぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
という山部赤人の歌も「田子の浦に うちいでてみらえば ましろにぞ 富士の高嶺に 雪はふりつつ」と現代風に直されています。
万葉集と新古今の違いだと言う人もいますが、あの新古今は読めたものではありません。
まあいいや。
東風とは、春風のことです。でも春風というのは南から吹く暖かい風のはずなのに、なぜ東風と呼ぶのでしょうか。
それは七十二候が、昔の素晴らしかった頃の支那から渡ってきた暦だからです。支那では春は東を司るから東風と呼ぶそうです。
ついでに・・・。
東という字の成り立ちを。
地平線に日が昇ります。すると「旦」という字になります。下の棒が地平線ですね。これを「あさ」と呼びます。少し日が昇っていくと、木の間にお日様がきます。「日」と「木」を合せると「東」になります。
こういう風に子供に漢字を教えると、子供は漢字をどんどん覚えます。今の学校教育の漢字ドリルではだめです。子供の能力を低下させています。子供は抽象的なことは理解できません。直観的なことには、大人が信じられないぐらい理解を示します。つまり、表音文字の英語よりも表意文字の漢字の方が覚えます。
ついでに・・・。木の上に日が昇ると「杲」となります。これは「あきらか」という意味です。日が沈んで「杳」となります。「はるか」です。「くらい」とも読みます。草原の場合だと「草」と併せて「暮」となります。
意味を持つ漢字をこういう風に子供に教えると、子供は驚くほど漢字を覚えます。文部科学省がゆとり教育とかいって、國家を破壊するような教育をやってしまいました。覚える漢字の数も削減しました。偏差値だけで年を取った官僚には教育の本質はわかりませんね。
立春の初候です。東風が吹くころです。自然を愛し自然を「観じて」生きてきた日本人はすてきですね。
東風が吹く 頃に芽が出る 蕗の薹 春を観じて 國を観じて
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