要望が高い過去ブログの記事を再掲し始めています。なんだか検索できない方が多いからです。
右のカテゴリー「宝徳 健」に格納しています。
2011年11月13日と14日掲載分です。
右のカテゴリー「宝徳 健」に格納しています。
2011年11月13日と14日掲載分です。
【2011年11月13日掲載分】
香港最終日です。
昨日の「少しエッチな話」を詳しく書けというご意見をいただきましたが、ご勘弁を(汗)。
香港の中国旅行社に行ったら、無事にビザをくれました。やった~。
その足で、タクシーに乗り、駅に行きました。そうです。電車で香港から支那の広州(クヮンチョウ)に入るのです。
前の日のYTJとの会話。
「宝徳、いよいよ明日から、広州やなあ。みてみい、ガイドブック見たら広州は食文化がすごいらしいでえ。『四足で食わんのは椅子だけ』やて」
「へぇ~、楽しみやなあ」
この幻想は一気に崩れ去るのですが、その話は後日。
さて、タクシーで、支那本土に入る駅に着きました。メーターを見ると、確か2ドル50セント(香港ドル)だったような。20ドル50セントだったかな? 覚えていませんが、とにかく、タクシーの運ちゃんが、メーターの10倍払えと強要してきたのは覚えています。
もちろん拒否して、メーターの金額を払って降りました。するとどうでしょうか、5~6人が、私たち二人の周りを取り囲んでいるではないですか!
「宝徳、ポケットに余っとる小銭を全部出せ」
「おう」
二人は、余っている小銭を足して、地面に叩きつけました。
日本語で、「これで全部や!文句あるか!」
と叫び、スタスタと駅に歩いていきました。追いかけてきたら一戦交えるしかないなあ。それとも、思いっきり逃げるかとかいろいろ考えていましたが、不思議と追いかけてきませんでした。
セーフ!!!
さあ、いよいよ電車に乗り込みます。
【2011年11月14日掲載分】
昨日の続きです。香港から支那の広州に入る列車の駅につきました。
もう、名前は忘れましたが(写真は残っていますが)、この駅で、一人の日本人バックパッカーと遭いました。私たちが関西弁系統で話しているので、最初は 支那人かと思っていて話しかけなかったそうです。失礼な!
彼は一人旅。広州で別れました。
香港から広州に行く途中の電車で、国境を越えると、「今までどこにいたの?」と不思議になるくらい、たくさんの人民解放軍の軍人が列車の中に現れます。おかしな奴がいないかチェックしているのでしょう。
さて、広州について、両替をしました。確か7,000円ぐらいだったかなあ。1元が100円だったと記憶しているので、70元。でも、これが、支那人1家 族が半年ぐらい暮らせるお金だと知ってびっくり。それと、私たち外国人には普通の人民元は交換してくれません(今はどうか知りませんが)。外貨兌換券(ハ イフォエ)というものが私たちが使うお金です。このお金を持っていると、良いものが変えるので、交換してくれと支那人にせがまれます。人民元1.5倍~2 倍と交換してくれと言われます(しませんでしたが)。
広州でもホテルは予約していません。広州駅を降りて、最初、あるホテルに行きまし た。すると、「お前たち外国人はここには泊まれない。向こうのホテルに行け」と、「東宝飯店(だと記憶しています)」というところを指さされました。当時の 支那では、外国人と支那人は同じホテルに泊まれなかったのです。さて、東宝飯店に行きました。 あっ、その前にバスに乗った事件もあった。つづく。
香港最終日です。
昨日の「少しエッチな話」を詳しく書けというご意見をいただきましたが、ご勘弁を(汗)。
香港の中国旅行社に行ったら、無事にビザをくれました。やった~。
その足で、タクシーに乗り、駅に行きました。そうです。電車で香港から支那の広州(クヮンチョウ)に入るのです。
前の日のYTJとの会話。
「宝徳、いよいよ明日から、広州やなあ。みてみい、ガイドブック見たら広州は食文化がすごいらしいでえ。『四足で食わんのは椅子だけ』やて」
「へぇ~、楽しみやなあ」
この幻想は一気に崩れ去るのですが、その話は後日。
さて、タクシーで、支那本土に入る駅に着きました。メーターを見ると、確か2ドル50セント(香港ドル)だったような。20ドル50セントだったかな? 覚えていませんが、とにかく、タクシーの運ちゃんが、メーターの10倍払えと強要してきたのは覚えています。
もちろん拒否して、メーターの金額を払って降りました。するとどうでしょうか、5~6人が、私たち二人の周りを取り囲んでいるではないですか!
「宝徳、ポケットに余っとる小銭を全部出せ」
「おう」
二人は、余っている小銭を足して、地面に叩きつけました。
日本語で、「これで全部や!文句あるか!」
と叫び、スタスタと駅に歩いていきました。追いかけてきたら一戦交えるしかないなあ。それとも、思いっきり逃げるかとかいろいろ考えていましたが、不思議と追いかけてきませんでした。
セーフ!!!
さあ、いよいよ電車に乗り込みます。
【2011年11月14日掲載分】
昨日の続きです。香港から支那の広州に入る列車の駅につきました。
もう、名前は忘れましたが(写真は残っていますが)、この駅で、一人の日本人バックパッカーと遭いました。私たちが関西弁系統で話しているので、最初は 支那人かと思っていて話しかけなかったそうです。失礼な!
彼は一人旅。広州で別れました。
香港から広州に行く途中の電車で、国境を越えると、「今までどこにいたの?」と不思議になるくらい、たくさんの人民解放軍の軍人が列車の中に現れます。おかしな奴がいないかチェックしているのでしょう。
さて、広州について、両替をしました。確か7,000円ぐらいだったかなあ。1元が100円だったと記憶しているので、70元。でも、これが、支那人1家 族が半年ぐらい暮らせるお金だと知ってびっくり。それと、私たち外国人には普通の人民元は交換してくれません(今はどうか知りませんが)。外貨兌換券(ハ イフォエ)というものが私たちが使うお金です。このお金を持っていると、良いものが変えるので、交換してくれと支那人にせがまれます。人民元1.5倍~2 倍と交換してくれと言われます(しませんでしたが)。
広州でもホテルは予約していません。広州駅を降りて、最初、あるホテルに行きまし た。すると、「お前たち外国人はここには泊まれない。向こうのホテルに行け」と、「東宝飯店(だと記憶しています)」というところを指さされました。当時の 支那では、外国人と支那人は同じホテルに泊まれなかったのです。さて、東宝飯店に行きました。 あっ、その前にバスに乗った事件もあった。つづく。
コメントする