「西洋の没落」と「歴史の研究」

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 先日、本を読んでいたら「へー」と思うことがありました。

 私はスパゲッティナポリタンが大好きなのですが・・・。
 戦後すぐに、味盲なアメリカ人が帝国ホテルでスパゲッティを頼んだとき、トマトケチャップをダーっとかけて、食べたそうです。それを見た日本人シェフが、ナポリタンを考案したそうです。イギリス人、アメリカ人の味盲は今に始まったことではありませんが、大好きなナポリタンがそういういきさつで出来たことを知った時は、うっへ~と思いました(笑)(でも、日本人がおいしくしたのでこれからも食べますが)。

 産業革命が欧州で起きて、世界は欧米有利になりました。有利どころか、ダーウィンの進化論が白人絶対の人種差別を理論的にバックアップし、世界中をアパルトヘイトにしてしまいました。

 シュペングラーがそれに異を唱え「西洋の没落」を著しました。その後出てきた二十世紀最大の歴史学者と言われるトインビーは悩みました。シュペングラーの言っている通り、西洋が終わりなら、歴史など研究しなくてもいいではないかと。

 トインビーは悩みに悩んだ末、東洋の素晴らしい古典に触れ、その窮地を脱しました。

 その古典とは易経です。

 易経を読んだトインビーは名著「歴史の研究」を著しました。

 欧米は産業革命がほんの少し東洋より早く進んだにすぎません。物事のとらえ方、考え方、または兵法などは、東洋の方が優れています。

 すぐれている東洋の思想を、欧米は最初は認めません。非難します。日本などは、その批判に「なるほどそうだ」と考え、欧米の物ばかり好んでしまいます。

 でも、最終的には非難していた欧米が、東洋の優れた考え方を取り入れます。あたかも自分たちが考えたかのように。

 日本はいつまでこんなことをやっているんでしょうね。もちろん、欧米の優れている所は積極的に取り入れた方が良いのは言うまでもありません。でも、日本人は、あえてそんなことを言わなくても、太古の昔から、海外の物を取り入れて自國文化にするのは得意です。

 今、必要なのは、欧米の物ばかりありがたがるのではなく、東洋や我が國のすぐれている物を積極的に学ぶことではないでしょうか。

今ここに あるもの横に おいといて 他のこと学ぶ 愚かな行い

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このページは、宝徳 健が2013年2月21日 02:18に書いたブログ記事です。

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