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万葉集に載せられた、飛鳥時代の英雄 天武天皇が吉野宮に行幸した折に詠んだ歌です。
よき人の よしとよく見て よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見
万葉集に載せられた、飛鳥時代の英雄 天武天皇が吉野宮に行幸した折に詠んだ歌です。
吉野宮とはなんといいところなんだろうと礼賛しています。「よ」を繰り返しが言葉遊びにもなっています。この美しい歌は、別の意味が込められていました。
私はまだ吉野には行ったことがありません。行ってみたいな。
天武天皇は壬申の乱で甥との皇位継承の戦いを制しました。大海人の皇子です。甥が、天智天皇の息子である大友皇子です。
天智天皇は臨終に際し、弟である大海人皇子を枕元に呼びます。「自分はもう長くない。皇位を引き継いでくれ」と言われた大海人の皇子は、即座に断ります。もしこの時、受諾していたら天智天皇は大海人皇子を殺していたと言われています。つまり、試したのですね。
大海人皇子は、その後、剃髪して近江大津宮を出発して吉野へと出発しました。人々は「虎に翼を付けて放つようなものだ」と噂したと言います。それから八か月後、大海人皇子は、この地で挙兵し、大友皇子を破り即位しました。天武天皇です。
冒頭で紹介した歌を詠んだのはこの壬申の乱から七年後です。天武天皇が、皇后と六人の皇子と一緒に吉野に行ったときに詠んだ歌です。
皇后は後の持統天皇です。
さて、では、この歌にどのような意味が込められているのでしょうか? つづく
JR東海 社内月刊誌「ひととき」3月号の記事から紹介しています。さすが葛西さんが経営者の会社です。「ひととき」は超一級品の月刊誌です。
代々の 天子が宿る 吉野山 天子の思ひ 天子の隠れ家
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