このブログの過去記事が検索できない方々のために過去の記事を少しずつ紹介しています。まずはご要望の高かった支那紀行です。
2011年12月2日掲載分です。
2011年12月2日掲載分です。
さあ、秦の始皇帝の墓である兵馬俑(へばよう)に着きました。
これは圧巻でした。墓自体は、項羽が鯨布という将軍に命じて、財宝を根こそぎ奪い、燃やしてしまいましたから、残っていないと思いますが、兵馬俑(へば
よう)というのは、戦車が1000台以上、陶馬が600体、武士の俑(人形みたいなもの)が成人男性の等身大で約8,000体あります。全部東を向いてい
ます。秦は支那の西の国なので、自分の死後も、東側の敵ににらみを利かせているということろでしょうか。
破壊が大好きな支那人が、よく残しておいたものです。今日は、写真をご堪能ください。
入り口です。
こんなにたくさんあります。
これが8,000体ならんでいるのです!
破壊が大好きな支那人が、よく残しておいたものです。今日は、写真をご堪能ください。
入り口です。
こんなにたくさんあります。
これが8,000体ならんでいるのです!
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