吉野の盟約 4

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よき人の よしとよく見て よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見

 既に紹介した天武天皇の御製です。

 いったい、吉野とはどのような土地なのでしょうか?
 吉野は古代史の重要な局面でしばしば登場します。

 吉野宮は、六百五十六年に、天武天皇の母である斉明天皇が造営しました。斉明天皇は皇極天皇が重祚した方です。

 天武天皇と辛苦をともにした持統天皇(天武天皇の后が天武天皇崩御後即位)は、生涯に三十四回も吉野を訪れています。奈良時代になっても天武天皇のひ孫である聖武天皇が吉野離宮を造営し行幸しています。

※聖武天皇:奈良の大仏で有名な投打字を造営した天皇

 数々の天皇が訪れた吉野宮ですが、最近まではどれが吉野宮か特定できずにいました。ようやく、奈良県吉野町の宮滝遺跡が吉野宮であることが確定しました。


史跡宮滝遺跡
 


 
 この確定するまでの道のりの長かったこと。 つづく。

 行きたいな~。

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このページは、宝徳 健が2013年3月 2日 12:54に書いたブログ記事です。

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