再 支那紀行

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 今日は、2011年12月12日と14日を同時再掲します。
(2011年12月12日)
次の日にまた西安の空港に行きました。13時頃来いということなので、12時半に空港に行きました。
 その前に、前の日一度チェックアウトしたホテルに戻ると、「何でもどってきた」ということで、その説明に四苦八苦です。

 やっとの思いで説明し、泊まることが出来ました。支那で一番寒い時期です。泊まることが出来なければ、凍え死んでしまいます。

 さて、次の日空港に行きました。またもや、何時に出るかわかりません。アメリカ人の団体がいました。あきれて「コックローチ?」と叫んでいました。飛行機の機械の中にゴキブリでも入ったのかという皮肉です。

 結局、飛行機が出たのが、17時です。前の日から約40時間経過しています。これが当時の支那の国でした。とにかく、いらんことで時間がかかる。

 またもや隙間風がぴゅーぴゅーはいる恐怖の飛行機に、顔をひきつらせながら乗って、北京に着きました。電気がない支那です。もう外は真っ暗でした。 つづく。

(2011年12月14日)
 28年前に親友のYTJ二人で行った支那への旅を綴っています。当時はまだ個人旅行はほとんど許されていませんでした。国内で個人旅行のビザをとることはできませんでした。私たちは香港に飛んで、そこで、ビザを取得しました。私の初めての海外旅行です。

 さあ、北京に着きました。
 もう夜遅かったので、バスがありません。北京空港からタクシーに乗りました。このタクシーの怖いこと。

  信じられないぐらいの猛スピードで走ります。ライトは点けていません。対向車が来ると、パッシングライトを点けっぱなしにします。そして、すれちがうとま た無灯火状態に。なぜだと聞くと(英語だったかな?)、「電気がもったいない」と言います。笑ってしまうような話ですが、とにかく、そのぐらい当時の支那 人は、電気に対して飢えていました。

 隙間風が入る飛行機も怖い思いをしましたが、このタクシーも手に汗握る(?)緊張感でした。

  もちろん、北京でホテルを予約していません。運転手さんにどこか良いホテルをというと「北京飯店」というできたばかりのホテルに連れて行ってくれました。 1泊1,000円(当時は約1元)という、当時の支那では、とても高いホテルでした。お腹がペコペコです。いつもの通り、電気がない外は、もう店なんて やっていません。しかたがないので、チェックインしてすぐに、ホテルのレストランに行きました。

 ここでも面白い事件が・・・。 つづく。

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このページは、宝徳 健が2013年3月12日 01:49に書いたブログ記事です。

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